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1世紀 [ひびのよしなし]

たびたび言ってきたことなんだけど。

母方のおばあちゃんが先週15日に、めでたく100歳の誕生日を迎えました。
1917年11月15日に生まれて、100年。
ここ数年はことあるごとに「あと○年で100になるのよ」と言い回ってたおばあちゃん。
とうとうその日が来ましたね。
いやもう、100年生きる、ってすごいことだな、と。
関東大震災の時はどうだった、とか、戦争は絶対にやってはいけない、とか。
戦争の頃のことは、はっきり覚えてるけど思い出したくないので話に出さないことにしてる、という。
今でも毎日ニュースを見て、自分の思ったことを小さなノートに細かい文字で書き留めている。
「最近さすがに、耳が聞こえづらくなってきた」というが、100年使って来てる耳だものね。

誕生日目前の11日に、おばあちゃんを連れておじいちゃんのお墓参り。
毎回「今回が最後かもしれない」と言いながら早数年。
お寺さんの方でも「次の最後はいつ?」みたいな笑い話に。
うちのお墓は、ちょっときつめの階段を5段ほど登らなくちゃ行けないんだけど、
今回も自力で登り、クリア。
おじいちゃんに「早く迎えに来てくださいよ」って言ってたけど、
多分おじいちゃんはまだあちらで羽伸ばして楽しんでるので、まだ来ないよ、と。

この日、前日くらいまでは軽い雨予報も出てたんだけど、
実に気持ちよいいい天気になって。
おばあちゃんひたすら「天気がよくなって、ほんとによかった。」と。
雨だったら行くのは止めるつもりだっただけにね。

お墓参りに後は、ずっと住んでいた本郷町のうなぎ屋さんへ。
一時期うなぎが大好物で、毎回うちの母が行くたびに持って行ってたくらいなんだけど、
ある時、いいうなぎ屋さんに食べに出かけ、これでもかというほど食べた後は、
「しばらくうなぎ、いいわ。」という状態だったのね。
それが、最近になってまたうなぎ熱が再燃して来た様子。
おばあちゃんの写真集_171119_0011.jpg
しっかりうなぎを食べあ後は、ちょっとだけ昔の生活圏を散歩。
以前住んでいた家を見てみたり、裏の川=千代崎川を少し歩いてみたり。

ぼくがまだ学生の頃だったかな?もう少し歳行ってからだったかな?
おばあちゃんと話をしてた時に、おばあちゃんが言った言葉。

「人間はね、死ぬまではちゃんと生きてなくちゃだめなのよ。」

ボケて自分やまわりのことがわからなくなっては、「生きている」ことにはならない。
ただ息をしてるだけで、病院でチューブだらけになってても、「生きている」ことにはならない。
死ぬまではちゃんと「生きて」いなくてはダメだ、と。
このことを、100歳になってもしっかり自分で体現しているおばあちゃん。
ちなみに数年前、自ら「延命治療は希望しません」という書類にサイン済み。

15日の昼に、あらためて「おめでとう!」と電話を入れたら、
「まさきくんで2人目」とのこと。
その後、いろんな人から電話が来るので、施設内を散歩するのにも携帯電話を"携帯"してたそう。
「何かごはん取って食べようか、ってのも考えたんだけど、今日は何もしないで過ごすわ」と。

そんな風に、これからも元気でいてくださいませ。
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ある1日 と その2日後 [ひびのよしなし]

9月22日。
朝10時頃に目を覚ましたら、サックスの実穂ちゃんから2通、連絡が来てた。
実穂ちゃんは今回の入院以降、おそらく一番ちえちゃんのそばにいて支えてきてた存在で。
「今、病院から連絡があって、高木さんあぶないって。私は今から行くけどまさぼうどうする?」
「高木さん、8時59分に旅立ちました。」

おれはなんで目を覚まさなかったんだ。そんな時に。
悲しいという気持ちではなく、ただ申し訳ない、と。
今頃あせってももうしょうがないのだけど、実穂ちゃんに連絡を返す。
で、とにかく病院に行こう、と。

本当はこの日、お見舞いに行くことを考えたのね。
前日にちえちゃんに連絡を入れて。
ただ、別にも来る予定の人がいるので、大丈夫ならまた別の日に、
という返事だったので、「ならば週明けにでも」と考えてたところ。
なんとも。

病院に行く準備をして、電車に乗って。
それでも、なんだか気分的によくわからなくて。
残念、という気持ちはあれど「悲しい」のかどうかわからない。

永田町の駅で乗り換える時に、
「あ、八天堂のパン買って行こう」って。
タカギが好んで食べたブルーベリーのパンは、もう季節が終わっちゃったか。
もうマロンの季節なのね。
パンをたくさん買って、乗り換えのホームに向かう途中、
「これだけあったらタカギ喜んでくれるかな?」
「最初にこれ買って行った時に、一気に食べてくれたっけね。」
と思い返したら、急にこみ上げてきて、こらえられなくて、ホームで泣いた。

病院に着くと、ちえちゃんと実穂ちゃんはちょっと出てたようで、
ちえちゃんとタカギの双方のご両親が迎えてくれた。
タカギはきれいにしてもらってた。
胸の辺り、まだ体温がうっすら残ってた。
不思議なことに、ここでも悲しいのかどうかはわからなかった。
ただ「・・・だめじゃんよぉ」って言葉だけ出て来た。
そして、戻って来たちえちゃんの顔を見た瞬間、崩れた。





しばらくして、時間も時間だったので、ご両親たちはお昼に向かい、
われわれ3人は「病室を片付けに」と病室へ。
ここでちえちゃん、「あー、2人の前でなら食べられる」と、
ちょっと落ち着いたように、買ってあったパンをかじり。
少しだけ心を落ち着けた様子で、前の晩から今朝のことを少しずつ話してくれた。
最期は2人だけで、穏やかな朝を過ごしながらだった、ということ。
これもまたタカギらしい。

荷物を詰めるための段ボールを取りに行ってくれてたちえちゃんの妹さん夫婦が戻って来て、「われわれもランチにするか」とお出かけ。
そこに、トロンボーンとしてゼンラに参加してた、ケネディハウスバーテンダーでもあるたかちゃんが合流。
はたから見れば、われわれが今どんな状況で集まってるのか、なんてわからないくらい、談笑しながらね。
その後病室を片付け荷物を送り。

そして再び、タカギの元へ。
もう冷たくなってるかもしれない胸の辺りは怖くて触れなかった。
タカギがサポートしてたシンガーソングライターの峠新吾さんとか、ベーシストのしょぼけんも駆けつけ。
ちえちゃんが、携帯に残ってた新吾さんとのライブの録音を流す。
楽しいクリスマスの空気と、みんなが笑ってる声も混じった幸せな時間が再生される。
胸が締め付けられる。
たかちゃんが「みんなでタカギの話をしたい」と提案。
でも、みんな思いが強くて、あまり話せず。

そんな中でタカギを病院から送り出し。

----

24日の日曜日早朝、大宮にて、お別れ会。
前の日も、葬儀ホールのご厚意で楽器を鳴らしまくらせてもらった、ということで。
ぼくも「ピアニカもって参戦します!」と。
ご家族のほかは、参列者はほぼゼンラのみなさん。
朝8時になると同時に、録音されてたタカギの
「こんばんは、Zen Ra Arkestraです!」という声を合図に、存分に演奏をぶっ放す。
1人1人タカギの前まで行ってソロを回したりという10分間。
タカギの顔に触れてたちえちゃんはこの時、タカギから熱を感じたという。
一緒に演奏、というか指揮してたんだね。

納棺、花入れ、そして出棺。
ホールから玄関まではまた盛大に演奏で送る。
ほかの人ではありえないような陽気で華やかな出棺。
いいよ、タカギだよ。

しかし、さすがに車に乗せられ、それを見送るとなった時には全員思いを押さえきれず。

「出棺の際、クラクションを鳴らします。お手合わせください。」
と言われ、誰もが「その音で決壊しそうだ」と覚悟する。

車、動き出す。
・・・そのまま走り出す。
そして道に出て見えなくなって行った。
泣きながらもちょっとあっけにとられ、残される集団。
「・・・鳴らなかったね。」
こういうところで、なんだか締まらないのもまたタカギだねぇ、と大笑い。

せっかくだから、みんなで写真撮ろうよ、と。
タカギ送り出し記念。

「これ右端、すごい光ってるよ」
「なんだ、タカギ写りたいんじゃん!」
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実にタカギらしい、タカギの仲間らしい送り出しが出来てよかった。
そしてぼくはここで初めて、ゼンラのみなさんに混ぜてもらえてよかった。


近く、タカギ記念ライブが開催される予定。
ここでぼくはしっかり、ゼンラで鍵盤担当として、ぶっ放すのでね。
タカギ、よろしくね。
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「まさぼうの、パン!」 [ひびのよしなし]

ある時期、「タカギに彼女ができた」という衝撃ニュースが界隈に走った。
タカギ、これを絶対に逃すでないぞ!とみんなが思ったし、みんなでそれを応援した。
そんなタカギの彼女=ちえちゃんはタカギのライブとかセッションにもよく顔を出してくれるようになり、みんなが「タカギをよろしくね」と、ちえちゃんの味方になった。
タカギがそれまでのようにライブをしなくなったのは、彼自身、本気でちえちゃんと一緒になるために模索してるようだった。

そんな中で、昨年はじめ頃、大変なことになる。
それまでもよく「頭痛がする」と言ってたタカギ、検査の結果小脳腫瘍が見つかり、入院手術。
この時は術後も比較的順調で、退院後に「仕事再開」「リハビリがてらセッションです!」と言った感じで報告があって。
あーよかった、大事に至らなくて、と安心してたんだけどね。

残念なことにその後の検査であまり芳しくない状態がわかり。
たびたび入院手術をくりかえし。
このあたり、本人が「あまり心配させたくないので」と、情報を控えてたようで。

それでも4回目となる今年の夏前に「再発!入院!」と本人から報告があり。
心配してたところに、ちえちゃんから報告を託されたという、同じサックス仲間の矢野さんから「今回は覚悟を決めた方がいい状況」ということと、出来るなら顔を出してほしい、と言う旨、情報が一気に回った。
それが8月初旬。

ぼくが初めて顔を見に行ったのは、びゅーちふるずのワンマンライブの翌日。
悪い状況を覚悟して行ったら、比較的元気そうで。
しゃべるのは大変そうだったけど、その分ジェスチャーを交えながらもみんなで話しながら笑ったりもして。

最初の入院以降、食事の制限なんかもあると言ってたので、何を持って行こうか少々悩んだんだけど、タカギには甘いものがいいかな、と。
乗り換えの永田町駅のEchikaに八天堂のパン屋さんがあったのでそこでいくつか選んで買って行ってね。もし食べられないようなら、ちえちゃんに持ち帰ってもらおう、と。
で、持って行ったらちえちゃんが「あ、八天堂!ギッちゃん八天堂だよ!まさぼうさんよく知ってましたね!」と。
たまたまだけど、八天堂のパンはタカギの大好物だったらしい。
ただ、食事制限以降は食べられないということで、そのこともすっかり忘れてたということで。
今はそれより、食べられるものならなんでも食べた方が、ということで。
さっそくタカギが「食べる」と、ちえちゃんに甘えながら食べさせてもらって。それも、一気に2つ食べちゃって。
「なんだ、元気じゃん。安心したよ」ってね。

その日の夜遅く、ちえちゃんからメールが入って。
「さっき『何か食べる?』と聞いたら『まさぼうの、パン!』と。」
ということで、さらにパンをたいらげた、と。
気遣いとかじゃなく、ホントにパン食べたかったのね。よかった。
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次の週、再びパンを買って会いに行く。
自分の分とちえちゃんの分も買って。
部屋につくとタカギは寝てる様子。
この2日間は何も食べられてない、ということ。
ちえちゃんからいろいろと話を聞いてるうちに、どうやらタカギ目が覚めたようで。
前週よりもさらに言葉は少なかったけど、おだやかに会話に入って、手振りで意思表示したりして。
安心したので、ぼくとちえちゃんとで「パンいただきます」と食べ始めたところ、タカギも「おれも食べる」と。
2日間何も食べてなかったところに、またパンを2つ。
いいよいいよ、どんどん食べて力つけてくれよ!って。

この日、ぼくが帰るのと入れ違いで昔のバンドの方達が訪問して。
一度部屋を出たぼくが忘れ物を取りに戻った時に、タカギの顔がかなりキリッとしてて。
それを見た時に、「あ、タカギ"大丈夫なの"を演じてるな」と感じて。
つまり、ぼくの時は緊張せずにのんびりできてるんだ、ってね。

タカギは以前からよく家でも「まさぼうのピアノはいいんだよ」と言ってくれてた、というのをちえちゃんが教えてくれた。
吹きたいように吹かせてくれる安心感がある、とか。
ぼくがお見舞いに行った時も、「まさぼうの雰囲気は落ち着く」と喜んでくれてたみたい。
タカギにとって、ぼくがそういう存在であるというだけでぼくはホッとする。

ちなみにこの時期、あまりにたくさんの人がタカギの顔を見に行ったもので、
病院側が「となりの個室が空いたので、部屋代そのままでいいので移ってください」ということに。
こういうの、なんともタカギらしい。

次の週に会いに行くと、起きてるもののほぼ目はとじたまま。
しかし話はしっかり聞いてくれてて、やはり手振りで答えてくれて。
帰りがけに手を握ったら、非常に力強く握り返してくれたので、
「なんだ、力強いじゃん!」って拍子抜けしたりね。

個室になったことで、ラジカセとかPCから音が出せるようになって。
ぼくもタカギとよく演奏してた曲をCD1枚にまとめて持って行ったりして。
それをかけてたら、タカギが落ち着いた顔で、一緒に吹くように口を動かしたりしてたようだ。

しかし、そう感じてしまう自分がいやなんだけど、週1、会いに行くにつれ最初のような元気さは薄れていて。
せめてぼくがいるのをわかってもらえるように、体に触れながら話すようにしたりして。

この頃から、毎回病室の前に行くと一瞬、入って行った時に、
いつもの情けない顔と情けない声で
「まさぼうく〜ん!」
と言って迎えてくれるんじゃないか、って期待するようになった。
「今日は言ってくれるかもしれない。」
「今日は言ってくれるかもしれない。」
でもそんなこと、ずっと泊まり込んで、毎日快復を目指してるちえちゃんに、ぼくなんかが言えることではなかった。
のだけど。

あるとき、タカギをはさんでちえちゃんと話をしてた時、
ふと話が途切れた時に、その思いがこぼれてしまった。
口にした瞬間、涙が出そうになってこらえたんだけど。
でもちえちゃんを泣かせてしまった。
そして「わかります。同じ気持ちです。」と。

ある晩、ちえちゃんから「タカギとのデュオの時のライブの録音が、私の携帯に残ってました!」という報告が。
タカギと一緒に聞いてます、心拍数がいい感じです、とのこと。
そして、この日のライブはMCからもタカギがリラックスしてゴキゲンだったことがよくわかる、って。
あの日の音源が残ってたなんて!!ぼくはもうそのことに感謝しかないですよ。まるで渾身のサプライズのようではないか!

このライブ音源をあらためて聞かせてもらうのを、楽しみにしてます。
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タカギとおれ [ひびのよしなし]

サックス吹きの高木克明と知り合ったのは、おそらく2009年頃。
ぼくがセッションホストをいろいろ担当することになった頃に、セッションで知り合ったんだと思う。
ヌボッとでかくて、暴れてブロウしまくる人、というのがはじめの印象。
当時の彼は「Zen Ra Arkestra」という大所帯の集団を率いていて。
大概のブラス系の知り合いはみんな「ゼンラ」に顔を出してたもんで、
そのイメージも強いかな。

ぼくの記録によれば、最初に一緒にやったのは2010年の7月
タカギが担当することになったセッションで「一緒にホストやってくれ」と。
ほどなくして、横浜の「電気クラゲ」というライブハウスで定期的にライブをやることになるんだけど、
この時期にはお互いわかりきった間柄になってて。
ジャズファンク系の曲はこの頃たくさん教わった感じ。

タカギの中では、それぞれのプレイヤーにすみ分けを作ってたのか、
ゼンラのように大所帯で鳴らす時にはぼくは呼ばれず、
逆にライブハウスで聞かせたい時によく呼ばれてたな。

当時、お互いあれこれサポートもしてたもんで、それぞれ別のサポートで対バン、ということもあって。
あるとき、彼が転換中のDJも担当したライブで、DJブースでカレーを食ってるという、
なかなかタカギらしい1枚。
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ちなみにタカギはぼくより2つ年上なんだけど、この頃にはもうむしろ「弟」のような気さえしてきてね。
これ、わりとタカギまわりのたくさんの人がそうだと思うんだけど。
「タカギだからしょうがないか」と、ヤツは許されることも多くて。
いや、そこを許せない人はそもそもタカギとは付き合えない、というか。
そんな中でも、「あ、おれはタカギから頼られてるんだなぁ」
と思った出来事が2つ。

2011年の3月。
地震のあった翌日早朝6:30頃にタカギから電話があってね。
何事かと思ったんだけど、「こんな時間にごめんね。まさぼうくん昨日大丈夫だった?」と。
彼は外出先で地震に遭い、家に帰ったら棚が倒れて来てて大変だった、とか。
そんな話をわざわざ朝早くにね。
しばらく話してて、ふと「あー、こいつ今、不安なんだな。」と思って、
そこからもう、彼の気が済むまで話につきあってあげよう、って。
気がつけば30分くらい電話してたかな。
最後に「ごめんね、こんな時間に。おれさびしかったんだよ。」と言うので、「そうだろうね。」といって電話を切った、っていうね。

もう1つ。2013年の4月のこと。
ある火曜日の夜に電話があって。
「まさぼうさま、助けてください!」と。
その週末の土曜日にライブをブッキングしてたことをすっかり忘れてて、
お店の方から「詳細教えてください」と連絡が来て思い出したという次第。
で「わかった、引き受けよう」ってね。
この時の細かいことは以前にブログで書いてるんだけど、
実はこの突発的なデュオ(後半トリオ)のライブが、
ぼくがタカギとやったライブの中で、いまだに一番楽しかったライブ。
タカギとはここまで少人数の方がむしろ面白いんだな、ってね。
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で、この時、半年後にもう一度同じトリオでちゃんとライブしよう、と日程まで決めたのね。で、ぼくはそれを楽しみにしてたんだけど。
その半年の間にタカギは「Organic Sunshine」という新しいバンドを作って。
ぼくもそこにお手伝いでキーボード弾くことになったんだけど、タカギが「トリオでやる予定のライブを、新バンドのお披露目ライブにしたい」ということで、トリオライブが幻に。
今だから正直に言うけど、この時非常にガッカリしたんだよね。
ホントはトリオでやりたかったなぁ、って。

Organic Sunshineはこのあともう1回ライブをやるんだけど、ぼくはそこで、
「申し訳ないけど、メンバーとしてバンドには参加できないので、お手伝いはここまでにさせてくれ」と伝えて。
あくまでも「バンドには参加しない」ということで、「タカギとはもうやらない」と言った訳ではなく。

その後、タカギが麻布のライブハウスでセッションのシリーズを担当することになった時に一度「お願いできないかな?」って声かけてくれたんだけど、予定が合わなくてね。
さらには、「故郷・金沢でトリオライブを考えてるんだけど、来てくれる?」と聞かれたので「いいよ」と答えてたものの、今度は彼の方の都合で「行かれなくなってしまったので、また時期を見て」ということに。

その辺りから、タカギ自身があまりライブをしなくなっていったり、
ぼくはぼくでハコバン始めちゃったもんでお互い会う機会もあまりなくなっちゃって。
ネット上でのやり取りはたまにあったからそれほど会ってないつもりでもなかったんだけどね。

トリオで金沢、って話。
あらためて連絡が来るのを待ってたんだけどなぁ。
現時点で、2013年11月のOrganic Sunshineの2回目のライブが、タカギと一緒にやった最後のライブってことで。

だいぶ経っててびっくりした。
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100 / 77 / 70 / 20 [ひびのよしなし]

先週末のことを今になってから、しかも時系列をバラバラにして書いてまいります。

---

ということで、23日の祝日。
この日は前々から決めてあった、おばあちゃんの100歳をメインにしたお祝いのランチ会。
おばあちゃんの誕生日は11月なのでちょっと早いんだけど、
敬老の日で、行政の方から「100歳祝い」の賞状とか記念品とかをいただいたのもあって、
この時期にお祝いしてしまおう、ってね。
加えて、今年はこの、おばあちゃんの100歳を筆頭に、
父:喜寿(77)、母:古希(70)、甥:成人(20)
と重なってるので、みんなでお祝い。
今のおばあちゃんの住まいに近い新横浜駅近所の中華料理屋さんでね。

みんなが持ち寄ったおばあちゃんへのプレゼントを渡したりするものの、
おばあちゃんとしてはもう、ひ孫と一緒にビールを飲める、というのが何よりの楽しみで。
その昔、ぼくの姉が20歳になった時に「結子さんとビールが飲める日が来るなんて!」
と喜んでいたのを覚えてるんだけど、まさかその息子とビールを飲む日が来るとは、ってね。
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最近はお昼に食べに出かけても「こっちの方が体が楽だから」とノンアルコールビールをよく飲んでるおばあちゃん、この日は「本物」を、と。「やっぱり本物のビールの方がおいしいね。」とのこと。

北京ダックをメインにした中華のコースは実にお腹いっぱいに。
20歳になったたいがくんは、一時期ほどの「四次元胃袋」ではなくなったようで。
大学で心理学を専攻してる彼に、おばあちゃんは「どんな勉強するの?」と興味津々。
とにかくご機嫌な数時間を楽しんだね。
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(おばあちゃんを中心に、家の家族、姉家族、妹夫婦)

帰り道の新横浜駅までも、おばあちゃんはたいがくんと手を繋いでデート気分。
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そしてワイワイ言いながら、駅前でも1枚写真撮ろうよ!
とオノボリサンのような写真まで。
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11月になったら、また「誕生日本番!」ってお祝いしようね。
そのままずっと、頭脳明晰で元気でいてくださいな。
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「おつかれさま」にひそむもの [ひびのよしなし]

この前「おつかれさま」という言葉についてTwitterでつぶやいたのだけど、
やはり少々物議をかもしたもので、ここであらためて整理しておく。

まず、「おつかれさま」と言う言葉は「同じ立場にある人」同士のねぎらいの言葉である、
というのが重要ポイント。
同じ会社の人、同じプロジェクトで働く人、同じ舞台に立つ人。
そういう間で交わされるねぎらいの言葉、なんじゃないかな。
ぼくで言えば、一緒に演奏をするバンドのメンバー、同じお店で働いてるホールスタッフ。
バックヤードでとなりのお店の店員さんに会えば、「お互い、今日もお店がんばってますね。」
という感覚で同じ立ち位置から「おつかれさまです」って交わしたりもする。
たとえば、ふらっと飲みにでも行って、となりに居合わせた人とグラスを合わせるなんて言う時は、
暗黙のうちに「おたがい労働者として今日も1日がんばりましたね」という、
ごく一般的な社会におけるお互いの立ち位置をフラットにしたところで
「おつかれさま」って言ったりもするよね。

これが、明らかな立場の差が出る場所では「おつかれさま」は「ごくろうさま」の意味合いに変化するんだよ。
言う側と受ける側の立ち位置の関係で、大きくそれは変わってくるのだ、と。

たとえば、客としてお店に入った時に、店員さんに「おつかれさま」とは言わないでしょ。
そこで「おつかれさま」って言ったら、
そこには「私に対するサービスを提供してくれるあなたの労働をねぎらいます」
みたいな感覚が生まれるからね。
お店の人は「おつかれさま」って言うかもしれない。
例えばビールでも差し出しながら客に「お疲れさま」と言ったなら、
それは「今日のあなたの外での労働をねぎらいます。ここでゆっくりなさってください」
と言った意味合いになるわけで、それはそれでありだと思うんだけど。
(別の言い方の方がいいと思うけどね)。

違う例で言えば、病院に行った時に、診てくれたお医者さんに対して
「おつかれさま」とは言わないでしょ。あきらかな立ち位置の差があるからね。
想像するだけで、それはおかしいと思うよね。
何かを習ってたとして、自分の先生に向かって「おつかれさま」も言わないでしょ。
おこがましいもん。
先生の方はきっと言うよ、講義の最後に「おつかれさまでした」って。
その間の時間、がんばりましたね、っていう意味で。

「おつかれさま」って言葉には、そうした意味合いの変化が存在する、
ってことをわかってなくてはいけない、とぼくは思うんだよね。
わりと使い勝手のいい言葉だから、無意識に会話の枕詞として使いがちだけど。
そこに立場の差が存在する時には、極力避けるべき言葉である、と。

お店で演奏を終えた後に、お客さんからたまに言われることがあるんだよね。
「おつかれさま」って。すごく笑顔で。
そのとき、やっぱりモヤッとするんだよね。
その人に他意や悪気はないんだろうけど、客から演者に「おつかれさま」という時には
「私のことを楽しませてくれるあなたの時間と技術の提供をねぎらいます」
というニュアンスは生じてしまうんだよ。

もう1つね。
実は客と演者の間での「おつかれさま」には別の意味が加わることがあって。
「おつかれさま」は同じ立場にいる人たちの間で使われる言葉、と言ったでしょ。
客側から演者に「おつかれさま」と言う時にね、
その「同じ立場」にありたいという願望のようなものが生じてることがあるんだよ。
「客」と「演者」というその線を飛び越えたい、
という思惑がこの「おつかれさま」には多分に含まれてくる、というね。
「ファン」としての思いが強くなるほどこの傾向は強くなる。
だから演者側は、今度はそこに「困惑」を覚えることがある。

特にぼくは、「演者」と「客」の間には、たとえ仲良くなろうとも
確実に線を引いておかなくてはならない、と思ってる。
(昨今使われる「一線を超える」の「線」とは別だよ!)
「演者」にはその意識が必要だし、「客」もむやみに踏み込んではならない、
という意識を持ってなくては興行は成り立たなくなる。

それだけに、「客」側から「おつかれさま」と言われることに、ぼくは非常に違和感を感じる。
さすがにその場で顔には出さないけど。

なんか、小難しいこと言ってるなぁこいつ、と思われてもかまわない。
ただ、言葉の持つ意味合いって、思ってるより重要なことなんだよ、ということ。
使い方を間違えると命取りにもなるんだよ、ということ。
その辺、日々気をつけないといけないな、とあらためて自覚しようと思う次第。

ちなみに、ある時期からぼく「了解です」も使わないようにしてます。
なんでか、くわしく知りたい人は適当にググってください。
どこかに答えが出てますから。
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たけちゃん [ひびのよしなし]

ケネディハウス銀座で一緒にやっているドラマーの竹村忠臣くん=たけちゃんが、この3月でバンドを去る。
気がつけばもうすっかり秒読み状態。

たけちゃんは、バンドの男性メンバーの中では一番年下で、そして一番でかい。
よく食べることでも有名だけど、たまに「昼にあり得ないくらい食べ過ぎて」と少食だったりもする。
(いや、それは少食とは言わないが)。
いつも笑ってて、穏やかな感じを装いつつ、ステージで豹変したりする。
かわいい2人の息子に自分の「臣」の字を継いでしまう。
チャームポイントであるはずのひげを剃ったことを、しばらく嫁に気づかれなかったりする。
通勤途中にYouTubeを見すぎて、毎月後半には低速の恐怖を味わう。
バンドにとっても、大変なムードメーカーで、たけちゃんがいるだけ空気が和む。

2年前にぼくが入った当初、覚えなくちゃ行けないことが多すぎて余裕が無かったぼくが、
「余裕が出てくれば、基本的には楽しいやつなんで」と言ったら「そんな気はしてます」と言ってくれて。
そして「ぼくに別に敬語とか使わなくていいですから。たけちゃんって呼んじゃってください」
と言って以来2年間、ぼくに対しては逆にずっと敬語でしゃべるたけちゃん。
楽屋でぼくがスマホを見てた時に、「すみません、画面が見えちゃったんですけど・・・」とすまなそうに言った後に、
「『ピタゴラスイッチ』お好きなんですか?」と投げかけてくれて。
その流れでステージ中にピタゴラスイッチネタをふんだんに取り込んで遊んだりもして。
ぼくが芝居をやってたという話の流れで「やっぱりZABADAKとか好きなんですか?」って、
ステレオタイプな質問を投げかけて来たり。
「ぼくも昔、芝居に絡んでた時期があったんで」ということで芝居話をたくさんしたり。

今のスーパーワンダーランドのメンバーの中では、
年齢的には、たけちゃんとぼくの間に笹川さんがいるんだけど、
多分「おもしろい、と感じるものの感覚」がいちばん近いんだよね。たけちゃんとは。
だから、いろんなところで気が合うし、話もしやすいし。

そんなたけちゃんと、昨年の夏頃だったかな。
ふと楽屋で2人だけになった時に、「実は次のことを考え始めてるんです」と。
でも、その時点でそれほど驚く感じでもなかったかな。

ハコバンを始める以前にメジャーデビューも経験してて、あちこちに知り合いがいるし、
いろんなところから声はかかるだろうし、彼を使いたがる人はたくさんいるよ。
でも、ハコバンやってる以上はそういう声にもなかなか応えられないし、
そういう状況が続けば周りも声をかけづらくなってくる。

もちろん2年間だけどやってきて、ほぼ毎日顔合わせてるたけちゃんがいなくなるのは寂しいこと。
でもミュージシャンとしての気持ちは、やりたい音楽をやりたい形でやるべきだ、ってね。
銀座で落ち着いたポップスを奏でたり、自身のバンドできれいな音楽をたたいてるけど、
根はTHE BLUE HEARTSを愛して止まないパワードラマーだ。
もっといろんな音楽に触れて、たたいて行けばいい。

今の仕事の時間的な制約を取っ払ったところで、もっともっとあちこち飛び回って、
どん欲に仕事すればいいよ。
まだ30代半ばだもの。

そんなわけで、
たけちゃんとケネディハウスで一緒に演奏するのはあと1週間です。
ぼくとたけちゃんがケネディハウスで演奏するのを見たい方は、この間に忘れずに、
見に来ておいてくださいね。

ま、きっとそのうち、銀座の外でたけちゃんとは一緒に演奏する機会が来るでしょう。
そう思ってますよ。ぼくはね。

あけましておめでとうございます! [ひびのよしなし]

あけましておめでとうございます!

2017年も、いい年にしてまいりましょう。
引き続き、銀座でがんばってまいります。
そして、曲作りもがんばって行きますよ。
さらに、もうちょっとピアノも練習します。

みなさま、今年もどうぞよろしくお願いします!
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(こういう気持ちでまいります。)

5月末っていつも慌ただしいんだった [ひびのよしなし]

今日の夜寝て、明日になると6月になってる。
半ば信じられない。

5月の後半は大分慌ただしかったですわ。
ていうか、こうやって書いてふと思い出した。
毎年5月の後半て慌ただしい。
いつだったか「4日間連続ライブ」ってのも5月末だった。
そういうものなのね。

今回はライブが2本、ケネディでのイベントライブが2本、ゼミのOB会とその準備、イベントステージでの「ダンス」。
そこ持って来て、この期間の直前に耳がそんなことになったり、店のエレピの鍵盤が落ちたり、と。
うっかりすると全部終わった時に、気が緩んで熱出しそうな勢い。

少なくとも来週末のびゅーちふるずの2マンライブまでは気を張って行きますよ。
ていうか、びゅーちのライブの宣伝があまりできてないな。

ま、とりあえず怒濤の日々が少しだけ落ち着いたので、順を追って忘備録を残しにかかります。

みみ [ひびのよしなし]

ぼくね。
まわりの人に比べると、音楽聞くときの音量はかなり抑え目なのね。
iPodなんかで聞くときも音量上げすぎないように気を付けてはいるし。
以前、会社勤めしてた頃も、作業の時のヘッドホンの音量は必要最小限で。
ほかの人のヘッドホンで音を鳴らしてもらったときにでかすぎてビビった記憶があるからね。
自分のやつでほかの人に聞かせても、大抵の場合音量上げられるし。

以前からそんな感じだったことに加えて、まあ、こういう仕事を始めてからは特に、耳は大事にしなくちゃ、と気をつけて来ているのだけど。

昨年からはじめた今の銀座のハコバン仕事では、ステージの配置上ぼくはドラムの真横になるわけで。
月の半分くらいだったらそれでもまだ大丈夫だったけど、今年に入ってほぼ毎日になったもんで、「ダメになる前に、ライブ用の耳栓てやつを試しておこうかな」って、真剣に考えるようになって。

先週、長い時間のリハーサルも続いたことから「耳栓買っておこう」と注文して。
それが「発送しました」と連絡が来た晩に、
…やっちまったねぇ。

その日も少々リハーサルがあって、いつもと違う音のバランスで音を出すことになってたのだけど、どうもそれが、ぼくの位置にはやばかったのかな。
最後のステージで、ちょっとロックめな曲が3曲ほど続いたときに、すごい音圧がぼくのところにたまって来るような音の出方になっちゃったのかね。
最後の最後にピアノと歌だけの曲で締めたんだけど、その時に、自分のピアノの細かい動きを耳が判別できなくなってて。

これはまずいぞ、と。

もうその日は帰りに音楽を聴くのもやめて。
次の日は、とりあえず家にある適当な耳栓を持って銀座入り。
あのね、「またあの音圧が迫ってきたらどうしよう」ていう恐怖すら芽生えちゃって。
とは言え休めないしねぇ。

耳栓して1日ステージまわしまして。
音にやられる、ということはないし、それなりに聞こえてもいるので大丈夫なんだけど、音が届いてることでやはり、耳の奥では疲れを多少感じてたりもするね。

それはそれとして、
耳栓して演奏すると、各音の芯の部分だけが入ってくるので、いろいろわかりやすい。
ギターはそんな音で弾いていたのか、とか。
音の拡がりとかデコレーションされる部分がないので、すっきり判別ができる。
これはこれで面白いもんだな。

ま、なんにしろ、
まだまだちょっとやられちゃってる状態なので、無理しないように気を付けながらまいります。

それともうひとつ。
このところ、何かに追われるかのようにいろんな音楽を詰め込んでた節もあるんだけど、
これはもしかしたら「もう少し落ち着きなさいな」という指令なのかな、とか。
インプットも大事だがほどほどに。

もしくは「少しはアウトプットもしなさい」ということかもしれない。

と解釈してみます。
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