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銀座の男、もうすぐ終了 [ひびのよしなし]

そろそろ、ちゃんと書いておかないとね。

2015年4月から続けてきた、ケネディハウス銀座でのハウスバンドの仕事から撤退します。
店側と、親会社の経営的判断等々から、現在のバンドを5月末で解散、ということになりまして。
6月以降も別のバンドを立ち上げて営業自体は続きます。
基本的にメンバー全員が外に出ることになりますが、中には次のバンドに加わる者もいます。

常連さんはわりとみんな、いろいろと察して何も言わずに見てくれたりもしますが、
中には「なんで?」と聞かれたりもします。
聞かれても「上の判断なんで」と言うしかないんですけどね。

ま、収入という面で考えるとなかなか難しいところではあるんだけど、
この3年間、基本的に月曜ー土曜の夜を仕事で押さえられてたので、
「まさぼうにライブお願いしたいんだけど、難しいよね」と声がかからなかったり、
声かけていただいても「ごめん」というようなことが多々あったのを、
またしばらくは引き受けられるようになるかな、って。
そういう部分でまた広がって行かれればいいと思うし。
なんなら地方の仕事も行かれますよ、ってなことになれば、それも楽しいかな。
もちろん、引き続き「ノーギャラ仕事は引き受けられません」というスタンスは変えませんが。

それと、この前も一度綴ったことだけど、
ここらで、作曲業の方にうまくシフトして行きたいなぁ、ってね。
そっちの方もあらためてがんばってみることにするよ。

ということで、
6月以降、平日夜とか土曜の夜でもお仕事引き受けられますので、
「それなら」という方、ご連絡くださいませ。
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MD [ひびのよしなし]

MD。
大好きなメディアだったんだよね。Mini Disc。
MDが発売されたのって、ぼくが大学生のころで。
同じ時期に、こちらは本当に幻と言われる「DCC (Digital Conpact Casette)」というメディアも出て、
「同じデジタルの新しいメディア対決か?」なんて言われてたけど、
そんなもん、「テープ」メディアと「ディスク」メディアでどっちが浸透するかなんて明白でしょう。
というようなことを、大学2年の時のプレゼミの論文で書いた記憶がある。
SonyはMDの発売時に大々的なプロモーションを組んで、
プレイヤーと録音メディアとしてのMDを50タイトル分くらい、まとめてプレゼント、
ってのをやってて、何枚もハガキ書いて応募したなぁ。

なにより、当時芝居やってたもんだから、
芝居の音響にこんなに便利なものはないぞ、と思ってね。
あの頃は音響もカセット使ってて、音楽の入るシーンになるとPA席から
「ガチャ!」ってよく音が響いて来たものよ。
それがMDだったら頭出しとかも準備しなくていいし、曲の入れ替えもできるし、
スイッチ音が静かだし、って。

でも、発売当初はまだ高くて買えなくて。
買えたのは卒業する頃だったかな。
卒業直前の芝居の時にはMDで音響つないだ記憶があるからね。

それ以降も、通勤のお供というだけじゃなく、
スタジオ入ってリハしたり、
ライブ見に行って録音したり、
とにかくよく使ってた。
で、メディアも大量になって行って。

それが今ね、すっかりあぶれちゃってて。
MDで聞いてたものは大概CDで買い直してるし、
そもそもメディアじゃなくてデータの時代になったしね。
一時期、うちの車のカーステレオがMDだけだったこともあって、
車で聴く用のMDというのをたくさん用意してたりもしたんだけど。
今はもうMDじゃなくてもいいし。

ということで、リハの録音だとか、ラジオを録音したものとか、
そういうもの以外、消しても大丈夫なものを全部消して、
さてこのメディアたち、有効活用できないかなぁ、なんて思ったりもするのだけど、
出番、ないよねぇ。

ふと、
「この時代に、自分の音源をMDに入れて売って見たらどうだろう?」なんて
面白いことも考えて見た。
もうそうなったら、グッズとして買うくらいしか買ってもらえないだろうけど、
なんか、そういうのもいいかなぁ、なんて。

というか、さっき言った「リハの録音とかラジオの録音」も、
PCに取り込んでしまえばそのディスクはもうお疲れ様でしたになるわけで。
さらに増えるよな。

ちなみに、プレイヤーはしっかりしたものを今でも持ってます。
というか、あのプレイヤーは誰かからのいただき物だったような気もする。

うん。MD。
やっぱりかわいらしいサイズだな。
DSC_6150.JPG
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字を「書く」 [ひびのよしなし]

今年はもう少しブログも書こう、
と月の初めはわりと書いてたんだけどね。
ぐっと、空いたよね。

その間、わりと不得意分野の打ち込み作業をしたりとか、
なんかいろいろやってたのはやってたんだけど。

実は今年に入ってから、久しぶりに「文字で日記を書く」ということを、
何年かぶりにやってる。
高校3年の頃から、このブログを始めた頃まではずっとノートに日記書いてて。
あとで見直したりするなんてことも何も考えず、ただ日々を書き残してたわけで。
ブログを始めてからもしばらく並行して書いてたんだけど、
だんだん両立しなくなって行ってフェイドアウト。

でも、やっぱりここに書くのは他の人が見るものであって、
自分だけで抱えることとか、ひとさまに見せるようなことのない部分とか、
それなりに愚痴とか不満とか、
そういうものをどこかに吐き出すなら、やっぱり文字にするのがよいのかな、って。
小さいノートに1ページ分、てくらいだけどね。

それと、ノートに自分で文字を書かなくなってから、
あんまり文章がうまくないような気もしててね。
歌詞を書こう、というときに以前のように組み立てがスムーズに行かない、とか。
例えば今、以前のように脚本を書こう、と思ったところで難しいな、とか。

そんな「文章力」の低下を抑えるためにも、
やはり適度に文字は書いておこう、ってね。

そんな感じで、何年かぶりにやってて、いちばんに感じること。
「字が下手になってるなぁ」と。

普段、字を書かなくなったよね。
その部分、気に留めておかないと。
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今年のおれ [ひびのよしなし]

さて、今年の目標と言うか。
今年の「指針」てなところかな。

数年前、「流されない」というのを目標にした年があったような気がしてるんだけど。
それは人の意見に左右されず、自分の思う道をきちんと進んで行こう、と言う意味で、
のことだったと思うんだよね。

今年はそれとはちょっと感覚的には違うことなんだけど。

「流されてみよう」

というのを、指針にしてみることにした。
ぼくが社会人になって以来、数年ごとに自分を取り巻く状況が変わってるのね。
それは、自分がそうしてるというよりも、その時その時での風向きによるもの、というか。
さすがに20年も経つと、その状況というものにも意味があるように受け取ってる訳で。
自分が向かって行くべきところに向かう、ということのほかに、
自分がどう求められてるか、ということも実は重要なことであって。
その「求められてる」方向というか、風上に当たるものに引き寄せられる、
何かしらによって導かれてる、という感覚もあって。
そしてぼくはそこで「仕事をこなす」ことによって自分自身の修行をしてるんだな、
という思いがあるのですよ。
(「仕事をこなす」というのは日々のそれということじゃなく、「役割を全うする」という感覚ね。)

自分はね。
最終的に、自分のやりたいこと、自分のなりたいポジションに向かって進んでる、
と、そう言う確信のようなものは感じているのです。オカルト的ではなく。
そこへ向かうために、積まなければならないことがまだまだあるのだ、と。

そういうことで、盲目的にあせって頂上を目指そうとしたりするわけじゃなく、
吹いてきた風には抵抗したり逆らったりすることなく、
そこに流されてみよう、という。
それを今年の指針にしてみよう、ってね。

ま、ほんというとこれ、数年前からそう言うスタンスではいるんだけども。
あえて口に出してみる、っていうね。
年の初めに。
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あけましておめでとうございます! [ひびのよしなし]

2018年 あけましておめでとうございます!

今年もたくさんいいことが
みなさんにもあるように
いつもいつも

DSC_5292.JPG

せっかくなのでこちらも併せてお楽しみくださいませ。
『A HAPPY NEW YEAR (cover)』キタムラナオコw/中田征毅

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2017年のまさぼうくん [ひびのよしなし]

さて、気がつきゃぁ大晦日ですよ。
クリスマスまで、なんとなく「追われ感」があって、その後ちょっとゆったりしたものの、
あまり何も出来てないまま大晦日。
当然のことながら、今年も年賀状、まだです。
今から。

さて。
2017年を振り返ってみて。
何かをやったようで、特別何をしたということもあまり思い出せない感じ。
音楽面では日々の仕事に従事してた感が強いかな。
それだけでもないはずなんだけど。

音楽と関係ないところでは、与論への旅がとにかくでかいね。
昨年、ひとりで大阪に行ってみたけども、それとは全然感覚が違う。
知らない人しかいないところで、とにかく出会う人とたくさんしゃべったり。
そういうことが自分にも出来るのか、というのがわりと新しい発見だったりね。
あえて何も計画しない、というのもいいもんだな、って。
与論はまた必ず行く。すぐに「来年」ということではないかもしれないけど。

ではこの1年のライブの記録を見てみよう。

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【1月】
■1/9(月・祝) びゅーちふるず @吉祥寺 Planet K
■1/29(日) 柏原由美子 @西荻窪 月笑う
 ライブあけはびゅーちで。
 由美子さんとは飲み屋の店内にて、のんびりした感じでね。
 ていうか、今年は由美子さんとこの1本だけか。

【2月】
■2/12(日) マクランドワンマンライブ @四谷 SOUND CREEK Doppo
■2/16(木) ザ・ワイルドワンズ&スーパーワンダーランドコラボライブ @銀座 KENNEDY HOUSE GINZA
 マクランドは2月にして「今年最後かも」って言ってたライブ。
 9月にもやることになったけどね。

【3月】
■3/25(土) 上田司バースデーライブ @銀座 KENNEDY HOUSE GINZA
 店のバンドのリーダーの、3月恒例バースデーライブのみの3月。

【4月】
■4/2(日) Sunny Funny @四谷 SOUND CREEK Doppo
■4/15(土) びゅーちふるず @武蔵浦和 しらはた作業所前遊歩道
■4/16(日) まさぼうのたくらみ Vol.16 @四谷 SOUND CREEK Doppo
■4/29(土・祝) キタムラナオコトリオ @新検見川 ワールドアパートメント
 久しぶりにいろいろやった感のある4月。
 数年ぶりにようやくSunny Funnyできたのがなにより。
 で、今年最初のたくらみも、また4月に。
 そして「もっとやりたいね」というキタムラトリオも3年ぶりくらいかな?

【5月】
■5/3(祝) かずみワンマンライブ @四谷 SOUND CREEK Doppo
■5/21(日) Mac the nice! Soul Revew @四谷 SOUND CREEK Doppo
■5/24(土) 加瀬友貴バースデーライブ @銀座 KENNEDY HOUSE GINZA
 かずみさんは満を持しての初ワンマンライブ。
 Mac the nice!は毎度Doppoの周年ライブで。
 友貴さんバースデーは急遽代役引き受ける形でね。
 そしてそれらが終わって与論へ飛んだわけだ。

【8月】
■8/6(日) びゅーちふるずワンマンライブ @吉祥寺 Planet K
■8/20(日) びゅーちふるず @山梨 道の駅みとみ
■8/22(火) 永井実穂セッション @新宿 GOLDEN EGG
■8/27(日) ケネディハウスROCK DAY @銀座 KENNEDY HOUSE GINZA
 6,7月は公のライブはないものの、発表会の手伝いをしたりもして。
 8月はびゅーちの15周年記念ワンマンに、おまけの山梨ライブ。
 1年半ぶりくらいにセッションホストに復帰。勘は鈍ってなかった、と思う。

【9月】
■9/24(日) マクランド @四谷 SOUND CREEK Doppo
 「試しに集まってみる会」は大盛況。なにより自分たちが楽しかったよね。

【10月】
■10/8(日) びゅーちふるず @堀切菖蒲園 堀切地区センター
■10/15(日) まさぼうのたくらみ Vol.17 @四谷 SOUND CREEK Doppo
■10/24(火) 永井実穂セッション @新宿 GOLDEN EGG
 このほか、14日には大学時代のゼミのOB会にて、3曲ばかりのライブを担当。
 今年2回目のたくらみは、今までにない感じの選曲でかなり新鮮に。

【11月】
■11/22(水) Zen Ra Arkestra @外苑前 HEAVEN青山
 初めて、ZenRaに混ぜていただいて、「ライブ楽しいなぁ」と実感。

【12月】
■12/23(土・祝) キタムラナオコ @佐倉 佐倉市立美術館ホール
■12/24(日) ケネディハウスクリスマスライブ @銀座 KENNEDY HOUSE GINZA
■12/26(火) 永井実穂セッション @新宿 GOLDEN EGG
 思えばかなり久しぶりのキタムラナオコとのライブ。
 3曲とは言え、やっぱりナオさんとのライブはいいね。

ということで、店での企画ライブ5本を合わせてライブ21本。
セッションは後半1か月おきに参加できて3本。
ま、ほぼ毎日夜に演奏してること考えたら、わりと十分やってる方かな、って。

ほかには、昨年からずっとアンダーグラウンドで進めてるプロジェクトから、
ちょっとだけ先行して顔を出したのが、五十嵐さやちゃんの『ホンキからのジャンプ』リリース。
インディーズ配信リリースとは言え、自分でアレンジまで担当した曲のリリースは初めてか。
このプロジェクト、来年には全容が出せることになると思われます。多分。

てなところで。
今年も1年お世話になりました!
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1世紀 [ひびのよしなし]

たびたび言ってきたことなんだけど。

母方のおばあちゃんが先週15日に、めでたく100歳の誕生日を迎えました。
1917年11月15日に生まれて、100年。
ここ数年はことあるごとに「あと○年で100になるのよ」と言い回ってたおばあちゃん。
とうとうその日が来ましたね。
いやもう、100年生きる、ってすごいことだな、と。
関東大震災の時はどうだった、とか、戦争は絶対にやってはいけない、とか。
戦争の頃のことは、はっきり覚えてるけど思い出したくないので話に出さないことにしてる、という。
今でも毎日ニュースを見て、自分の思ったことを小さなノートに細かい文字で書き留めている。
「最近さすがに、耳が聞こえづらくなってきた」というが、100年使って来てる耳だものね。

誕生日目前の11日に、おばあちゃんを連れておじいちゃんのお墓参り。
毎回「今回が最後かもしれない」と言いながら早数年。
お寺さんの方でも「次の最後はいつ?」みたいな笑い話に。
うちのお墓は、ちょっときつめの階段を5段ほど登らなくちゃ行けないんだけど、
今回も自力で登り、クリア。
おじいちゃんに「早く迎えに来てくださいよ」って言ってたけど、
多分おじいちゃんはまだあちらで羽伸ばして楽しんでるので、まだ来ないよ、と。

この日、前日くらいまでは軽い雨予報も出てたんだけど、
実に気持ちよいいい天気になって。
おばあちゃんひたすら「天気がよくなって、ほんとによかった。」と。
雨だったら行くのは止めるつもりだっただけにね。

お墓参りに後は、ずっと住んでいた本郷町のうなぎ屋さんへ。
一時期うなぎが大好物で、毎回うちの母が行くたびに持って行ってたくらいなんだけど、
ある時、いいうなぎ屋さんに食べに出かけ、これでもかというほど食べた後は、
「しばらくうなぎ、いいわ。」という状態だったのね。
それが、最近になってまたうなぎ熱が再燃して来た様子。
おばあちゃんの写真集_171119_0011.jpg
しっかりうなぎを食べあ後は、ちょっとだけ昔の生活圏を散歩。
以前住んでいた家を見てみたり、裏の川=千代崎川を少し歩いてみたり。

ぼくがまだ学生の頃だったかな?もう少し歳行ってからだったかな?
おばあちゃんと話をしてた時に、おばあちゃんが言った言葉。

「人間はね、死ぬまではちゃんと生きてなくちゃだめなのよ。」

ボケて自分やまわりのことがわからなくなっては、「生きている」ことにはならない。
ただ息をしてるだけで、病院でチューブだらけになってても、「生きている」ことにはならない。
死ぬまではちゃんと「生きて」いなくてはダメだ、と。
このことを、100歳になってもしっかり自分で体現しているおばあちゃん。
ちなみに数年前、自ら「延命治療は希望しません」という書類にサイン済み。

15日の昼に、あらためて「おめでとう!」と電話を入れたら、
「まさきくんで2人目」とのこと。
その後、いろんな人から電話が来るので、施設内を散歩するのにも携帯電話を"携帯"してたそう。
「何かごはん取って食べようか、ってのも考えたんだけど、今日は何もしないで過ごすわ」と。

そんな風に、これからも元気でいてくださいませ。
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ある1日 と その2日後 [ひびのよしなし]

9月22日。
朝10時頃に目を覚ましたら、サックスの実穂ちゃんから2通、連絡が来てた。
実穂ちゃんは今回の入院以降、おそらく一番ちえちゃんのそばにいて支えてきてた存在で。
「今、病院から連絡があって、高木さんあぶないって。私は今から行くけどまさぼうどうする?」
「高木さん、8時59分に旅立ちました。」

おれはなんで目を覚まさなかったんだ。そんな時に。
悲しいという気持ちではなく、ただ申し訳ない、と。
今頃あせってももうしょうがないのだけど、実穂ちゃんに連絡を返す。
で、とにかく病院に行こう、と。

本当はこの日、お見舞いに行くことを考えたのね。
前日にちえちゃんに連絡を入れて。
ただ、別にも来る予定の人がいるので、大丈夫ならまた別の日に、
という返事だったので、「ならば週明けにでも」と考えてたところ。
なんとも。

病院に行く準備をして、電車に乗って。
それでも、なんだか気分的によくわからなくて。
残念、という気持ちはあれど「悲しい」のかどうかわからない。

永田町の駅で乗り換える時に、
「あ、八天堂のパン買って行こう」って。
タカギが好んで食べたブルーベリーのパンは、もう季節が終わっちゃったか。
もうマロンの季節なのね。
パンをたくさん買って、乗り換えのホームに向かう途中、
「これだけあったらタカギ喜んでくれるかな?」
「最初にこれ買って行った時に、一気に食べてくれたっけね。」
と思い返したら、急にこみ上げてきて、こらえられなくて、ホームで泣いた。

病院に着くと、ちえちゃんと実穂ちゃんはちょっと出てたようで、
ちえちゃんとタカギの双方のご両親が迎えてくれた。
タカギはきれいにしてもらってた。
胸の辺り、まだ体温がうっすら残ってた。
不思議なことに、ここでも悲しいのかどうかはわからなかった。
ただ「・・・だめじゃんよぉ」って言葉だけ出て来た。
そして、戻って来たちえちゃんの顔を見た瞬間、崩れた。





しばらくして、時間も時間だったので、ご両親たちはお昼に向かい、
われわれ3人は「病室を片付けに」と病室へ。
ここでちえちゃん、「あー、2人の前でなら食べられる」と、
ちょっと落ち着いたように、買ってあったパンをかじり。
少しだけ心を落ち着けた様子で、前の晩から今朝のことを少しずつ話してくれた。
最期は2人だけで、穏やかな朝を過ごしながらだった、ということ。
これもまたタカギらしい。

荷物を詰めるための段ボールを取りに行ってくれてたちえちゃんの妹さん夫婦が戻って来て、「われわれもランチにするか」とお出かけ。
そこに、トロンボーンとしてゼンラに参加してた、ケネディハウスバーテンダーでもあるたかちゃんが合流。
はたから見れば、われわれが今どんな状況で集まってるのか、なんてわからないくらい、談笑しながらね。
その後病室を片付け荷物を送り。

そして再び、タカギの元へ。
もう冷たくなってるかもしれない胸の辺りは怖くて触れなかった。
タカギがサポートしてたシンガーソングライターの峠新吾さんとか、ベーシストのしょぼけんも駆けつけ。
ちえちゃんが、携帯に残ってた新吾さんとのライブの録音を流す。
楽しいクリスマスの空気と、みんなが笑ってる声も混じった幸せな時間が再生される。
胸が締め付けられる。
たかちゃんが「みんなでタカギの話をしたい」と提案。
でも、みんな思いが強くて、あまり話せず。

そんな中でタカギを病院から送り出し。

----

24日の日曜日早朝、大宮にて、お別れ会。
前の日も、葬儀ホールのご厚意で楽器を鳴らしまくらせてもらった、ということで。
ぼくも「ピアニカもって参戦します!」と。
ご家族のほかは、参列者はほぼゼンラのみなさん。
朝8時になると同時に、録音されてたタカギの
「こんばんは、Zen Ra Arkestraです!」という声を合図に、存分に演奏をぶっ放す。
1人1人タカギの前まで行ってソロを回したりという10分間。
タカギの顔に触れてたちえちゃんはこの時、タカギから熱を感じたという。
一緒に演奏、というか指揮してたんだね。

納棺、花入れ、そして出棺。
ホールから玄関まではまた盛大に演奏で送る。
ほかの人ではありえないような陽気で華やかな出棺。
いいよ、タカギだよ。

しかし、さすがに車に乗せられ、それを見送るとなった時には全員思いを押さえきれず。

「出棺の際、クラクションを鳴らします。お手合わせください。」
と言われ、誰もが「その音で決壊しそうだ」と覚悟する。

車、動き出す。
・・・そのまま走り出す。
そして道に出て見えなくなって行った。
泣きながらもちょっとあっけにとられ、残される集団。
「・・・鳴らなかったね。」
こういうところで、なんだか締まらないのもまたタカギだねぇ、と大笑い。

せっかくだから、みんなで写真撮ろうよ、と。
タカギ送り出し記念。

「これ右端、すごい光ってるよ」
「なんだ、タカギ写りたいんじゃん!」
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実にタカギらしい、タカギの仲間らしい送り出しが出来てよかった。
そしてぼくはここで初めて、ゼンラのみなさんに混ぜてもらえてよかった。


近く、タカギ記念ライブが開催される予定。
ここでぼくはしっかり、ゼンラで鍵盤担当として、ぶっ放すのでね。
タカギ、よろしくね。
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「まさぼうの、パン!」 [ひびのよしなし]

ある時期、「タカギに彼女ができた」という衝撃ニュースが界隈に走った。
タカギ、これを絶対に逃すでないぞ!とみんなが思ったし、みんなでそれを応援した。
そんなタカギの彼女=ちえちゃんはタカギのライブとかセッションにもよく顔を出してくれるようになり、みんなが「タカギをよろしくね」と、ちえちゃんの味方になった。
タカギがそれまでのようにライブをしなくなったのは、彼自身、本気でちえちゃんと一緒になるために模索してるようだった。

そんな中で、昨年はじめ頃、大変なことになる。
それまでもよく「頭痛がする」と言ってたタカギ、検査の結果小脳腫瘍が見つかり、入院手術。
この時は術後も比較的順調で、退院後に「仕事再開」「リハビリがてらセッションです!」と言った感じで報告があって。
あーよかった、大事に至らなくて、と安心してたんだけどね。

残念なことにその後の検査であまり芳しくない状態がわかり。
たびたび入院手術をくりかえし。
このあたり、本人が「あまり心配させたくないので」と、情報を控えてたようで。

それでも4回目となる今年の夏前に「再発!入院!」と本人から報告があり。
心配してたところに、ちえちゃんから報告を託されたという、同じサックス仲間の矢野さんから「今回は覚悟を決めた方がいい状況」ということと、出来るなら顔を出してほしい、と言う旨、情報が一気に回った。
それが8月初旬。

ぼくが初めて顔を見に行ったのは、びゅーちふるずのワンマンライブの翌日。
悪い状況を覚悟して行ったら、比較的元気そうで。
しゃべるのは大変そうだったけど、その分ジェスチャーを交えながらもみんなで話しながら笑ったりもして。

最初の入院以降、食事の制限なんかもあると言ってたので、何を持って行こうか少々悩んだんだけど、タカギには甘いものがいいかな、と。
乗り換えの永田町駅のEchikaに八天堂のパン屋さんがあったのでそこでいくつか選んで買って行ってね。もし食べられないようなら、ちえちゃんに持ち帰ってもらおう、と。
で、持って行ったらちえちゃんが「あ、八天堂!ギッちゃん八天堂だよ!まさぼうさんよく知ってましたね!」と。
たまたまだけど、八天堂のパンはタカギの大好物だったらしい。
ただ、食事制限以降は食べられないということで、そのこともすっかり忘れてたということで。
今はそれより、食べられるものならなんでも食べた方が、ということで。
さっそくタカギが「食べる」と、ちえちゃんに甘えながら食べさせてもらって。それも、一気に2つ食べちゃって。
「なんだ、元気じゃん。安心したよ」ってね。

その日の夜遅く、ちえちゃんからメールが入って。
「さっき『何か食べる?』と聞いたら『まさぼうの、パン!』と。」
ということで、さらにパンをたいらげた、と。
気遣いとかじゃなく、ホントにパン食べたかったのね。よかった。
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次の週、再びパンを買って会いに行く。
自分の分とちえちゃんの分も買って。
部屋につくとタカギは寝てる様子。
この2日間は何も食べられてない、ということ。
ちえちゃんからいろいろと話を聞いてるうちに、どうやらタカギ目が覚めたようで。
前週よりもさらに言葉は少なかったけど、おだやかに会話に入って、手振りで意思表示したりして。
安心したので、ぼくとちえちゃんとで「パンいただきます」と食べ始めたところ、タカギも「おれも食べる」と。
2日間何も食べてなかったところに、またパンを2つ。
いいよいいよ、どんどん食べて力つけてくれよ!って。

この日、ぼくが帰るのと入れ違いで昔のバンドの方達が訪問して。
一度部屋を出たぼくが忘れ物を取りに戻った時に、タカギの顔がかなりキリッとしてて。
それを見た時に、「あ、タカギ"大丈夫なの"を演じてるな」と感じて。
つまり、ぼくの時は緊張せずにのんびりできてるんだ、ってね。

タカギは以前からよく家でも「まさぼうのピアノはいいんだよ」と言ってくれてた、というのをちえちゃんが教えてくれた。
吹きたいように吹かせてくれる安心感がある、とか。
ぼくがお見舞いに行った時も、「まさぼうの雰囲気は落ち着く」と喜んでくれてたみたい。
タカギにとって、ぼくがそういう存在であるというだけでぼくはホッとする。

ちなみにこの時期、あまりにたくさんの人がタカギの顔を見に行ったもので、
病院側が「となりの個室が空いたので、部屋代そのままでいいので移ってください」ということに。
こういうの、なんともタカギらしい。

次の週に会いに行くと、起きてるもののほぼ目はとじたまま。
しかし話はしっかり聞いてくれてて、やはり手振りで答えてくれて。
帰りがけに手を握ったら、非常に力強く握り返してくれたので、
「なんだ、力強いじゃん!」って拍子抜けしたりね。

個室になったことで、ラジカセとかPCから音が出せるようになって。
ぼくもタカギとよく演奏してた曲をCD1枚にまとめて持って行ったりして。
それをかけてたら、タカギが落ち着いた顔で、一緒に吹くように口を動かしたりしてたようだ。

しかし、そう感じてしまう自分がいやなんだけど、週1、会いに行くにつれ最初のような元気さは薄れていて。
せめてぼくがいるのをわかってもらえるように、体に触れながら話すようにしたりして。

この頃から、毎回病室の前に行くと一瞬、入って行った時に、
いつもの情けない顔と情けない声で
「まさぼうく〜ん!」
と言って迎えてくれるんじゃないか、って期待するようになった。
「今日は言ってくれるかもしれない。」
「今日は言ってくれるかもしれない。」
でもそんなこと、ずっと泊まり込んで、毎日快復を目指してるちえちゃんに、ぼくなんかが言えることではなかった。
のだけど。

あるとき、タカギをはさんでちえちゃんと話をしてた時、
ふと話が途切れた時に、その思いがこぼれてしまった。
口にした瞬間、涙が出そうになってこらえたんだけど。
でもちえちゃんを泣かせてしまった。
そして「わかります。同じ気持ちです。」と。

ある晩、ちえちゃんから「タカギとのデュオの時のライブの録音が、私の携帯に残ってました!」という報告が。
タカギと一緒に聞いてます、心拍数がいい感じです、とのこと。
そして、この日のライブはMCからもタカギがリラックスしてゴキゲンだったことがよくわかる、って。
あの日の音源が残ってたなんて!!ぼくはもうそのことに感謝しかないですよ。まるで渾身のサプライズのようではないか!

このライブ音源をあらためて聞かせてもらうのを、楽しみにしてます。
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タカギとおれ [ひびのよしなし]

サックス吹きの高木克明と知り合ったのは、おそらく2009年頃。
ぼくがセッションホストをいろいろ担当することになった頃に、セッションで知り合ったんだと思う。
ヌボッとでかくて、暴れてブロウしまくる人、というのがはじめの印象。
当時の彼は「Zen Ra Arkestra」という大所帯の集団を率いていて。
大概のブラス系の知り合いはみんな「ゼンラ」に顔を出してたもんで、
そのイメージも強いかな。

ぼくの記録によれば、最初に一緒にやったのは2010年の7月
タカギが担当することになったセッションで「一緒にホストやってくれ」と。
ほどなくして、横浜の「電気クラゲ」というライブハウスで定期的にライブをやることになるんだけど、
この時期にはお互いわかりきった間柄になってて。
ジャズファンク系の曲はこの頃たくさん教わった感じ。

タカギの中では、それぞれのプレイヤーにすみ分けを作ってたのか、
ゼンラのように大所帯で鳴らす時にはぼくは呼ばれず、
逆にライブハウスで聞かせたい時によく呼ばれてたな。

当時、お互いあれこれサポートもしてたもんで、それぞれ別のサポートで対バン、ということもあって。
あるとき、彼が転換中のDJも担当したライブで、DJブースでカレーを食ってるという、
なかなかタカギらしい1枚。
Image120.jpg

ちなみにタカギはぼくより2つ年上なんだけど、この頃にはもうむしろ「弟」のような気さえしてきてね。
これ、わりとタカギまわりのたくさんの人がそうだと思うんだけど。
「タカギだからしょうがないか」と、ヤツは許されることも多くて。
いや、そこを許せない人はそもそもタカギとは付き合えない、というか。
そんな中でも、「あ、おれはタカギから頼られてるんだなぁ」
と思った出来事が2つ。

2011年の3月。
地震のあった翌日早朝6:30頃にタカギから電話があってね。
何事かと思ったんだけど、「こんな時間にごめんね。まさぼうくん昨日大丈夫だった?」と。
彼は外出先で地震に遭い、家に帰ったら棚が倒れて来てて大変だった、とか。
そんな話をわざわざ朝早くにね。
しばらく話してて、ふと「あー、こいつ今、不安なんだな。」と思って、
そこからもう、彼の気が済むまで話につきあってあげよう、って。
気がつけば30分くらい電話してたかな。
最後に「ごめんね、こんな時間に。おれさびしかったんだよ。」と言うので、「そうだろうね。」といって電話を切った、っていうね。

もう1つ。2013年の4月のこと。
ある火曜日の夜に電話があって。
「まさぼうさま、助けてください!」と。
その週末の土曜日にライブをブッキングしてたことをすっかり忘れてて、
お店の方から「詳細教えてください」と連絡が来て思い出したという次第。
で「わかった、引き受けよう」ってね。
この時の細かいことは以前にブログで書いてるんだけど、
実はこの突発的なデュオ(後半トリオ)のライブが、
ぼくがタカギとやったライブの中で、いまだに一番楽しかったライブ。
タカギとはここまで少人数の方がむしろ面白いんだな、ってね。
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で、この時、半年後にもう一度同じトリオでちゃんとライブしよう、と日程まで決めたのね。で、ぼくはそれを楽しみにしてたんだけど。
その半年の間にタカギは「Organic Sunshine」という新しいバンドを作って。
ぼくもそこにお手伝いでキーボード弾くことになったんだけど、タカギが「トリオでやる予定のライブを、新バンドのお披露目ライブにしたい」ということで、トリオライブが幻に。
今だから正直に言うけど、この時非常にガッカリしたんだよね。
ホントはトリオでやりたかったなぁ、って。

Organic Sunshineはこのあともう1回ライブをやるんだけど、ぼくはそこで、
「申し訳ないけど、メンバーとしてバンドには参加できないので、お手伝いはここまでにさせてくれ」と伝えて。
あくまでも「バンドには参加しない」ということで、「タカギとはもうやらない」と言った訳ではなく。

その後、タカギが麻布のライブハウスでセッションのシリーズを担当することになった時に一度「お願いできないかな?」って声かけてくれたんだけど、予定が合わなくてね。
さらには、「故郷・金沢でトリオライブを考えてるんだけど、来てくれる?」と聞かれたので「いいよ」と答えてたものの、今度は彼の方の都合で「行かれなくなってしまったので、また時期を見て」ということに。

その辺りから、タカギ自身があまりライブをしなくなっていったり、
ぼくはぼくでハコバン始めちゃったもんでお互い会う機会もあまりなくなっちゃって。
ネット上でのやり取りはたまにあったからそれほど会ってないつもりでもなかったんだけどね。

トリオで金沢、って話。
あらためて連絡が来るのを待ってたんだけどなぁ。
現時点で、2013年11月のOrganic Sunshineの2回目のライブが、タカギと一緒にやった最後のライブってことで。

だいぶ経っててびっくりした。
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