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2週間 [ひびのよしなし]

みなさまお元気ですか。

こちら、2週間ほどご無沙汰してました。
まあ、頭の中が忙しくてね。
シルバーウィークなんつって世の中連休だったわけだけど、その連休中がどうにもこうにもで。
ま、お仕事いただけてありがたい限りです。

連休前の1週間は、そのシルバーウィークに予定されてた2つの長時間リハのために、
14曲分の譜面を書き上げて音をチェックしてみたり、
バンドで新しく使うキーボードの音色を、ワンマンライブの20曲分あれこれ試してみたり。
連休中には、これまた珍しいイタリア歌曲の伴奏なんかしてみたり。
連休まっただ中のセッションは、いつもに比べて著しく人が少なかったり。
そんなこんなのうちに連休も終わって、ようやくほっと一息、てな具合でした。

その後、(1つ前の記事のことね)メガネで行った日は、リハーサルで何曲分か過ぎてから、
「今日は大丈夫、ちゃんと気づきましたよ!」と気づいてもらえて。
メガネしてる方が年齢不詳だ、と言われた。そうなのか。

そんなわけで、元気にやってます。
ひとまずご報告。

またぼちぼち綴ります。

めがね [ひびのよしなし]

この前、ステージ前の楽屋で。
「まさぼうさんがメガネかけると、どんな雰囲気になるんですか?」
というので、今日はあえてメガネをかけて行ってみた。

いつものように入って行くと、みんなが「あ、メガネだ!」と。
ひとしきり盛り上がったのだが、その時にはまだ言った本人は現れず。
その後、全員揃ったところでリハーサルをしたわけだけど、特にノーリアクションで。
そうか、ノーリアクションか。

で、本番前にはいつものようにコンタクトレンズを入れて。
(ちなみにコンタクトを入れた時に、スタッフの1人から「あ、ウッディに戻った」って言われた。)

結局1日終えて、メガネの話題が出なかったもので。
帰り際、ちょっと気になって聞いてみた。

「リハーサルの時、ずっとメガネしてたんだけど、気づいてた?」
「・・・・気づいてない!!」

ノーリアクション、とかじゃなくて、まさかの"気づいてない"。

ま、それだけいつもとの印象が何も変わらなかった、ってことなんだろね。
とりあえず、来週もう一度メガネで行くことに決めました。
さて、その時には気づいてもらえるのだろうか。

休み中の大仕事 [ひびのよしなし]

先週の木曜日から1週間、銀座のお店がお休み。
ということで、ぼくも合間にちょいちょいと予定は入ってたものの、今年はわりと落ち着いたお盆休み。

というわけで、このところずっと懸案事項だったCD棚のキャスター交換を。
この1年くらいで、一部の棚のキャスターがボロボロになる状態が相次いでてね。
日に日にダメになって行くもんで。
もはやキャスターとしての役割を担いきれてなくて、反って引き出せない状態で。
そうなると、出したり戻したりという
作業がおっくうになるのもあって、CDの整理が付かなくなってきて。

CDの整理を一気にやるのと合わせて、このキャスターの交換をしよう、と。
しばらく前から考えていたものを、このお盆休みで結構。
まず、キャスターを買いに行ったのだけど、1つの棚に6個、それが5本分。
となるとそんなにお店の方にもストックはなくて。
なのであるだけ買って来て、あとは注文。
どうにもならなくなってる棚のキャスターだけ交換してしまおう、ということに。

で、中のCDを全部出して、棚を横にしてキャスターを交換。
そのほか、ねじを全部締め直して、CDを戻しつつの新しく買ったものなどを間に調整しながらの。
「これ、もう聞かないな」というCDを間引きながらの。
(ちなみにあいうえお順で並べてます。)
てな感じで1日がかりでひとまず作業終了。

棚2つ分だけ、キャスターを新しくしたんだけど、動きが軽い。
もう、早くほかの分も交換したい。でも、それは来週以降。
(キャスター入荷の状況と、自分の予定を考えるとね。)

でも、これでようやく、部屋に積まれてたCDをきれいにおさめられたよ。
ついでに、もう聞かないCDが、ともすると段ボール2つ分くらいになったよ。
昔なら1つ1つヤフオクで出してたけど、これだけあるともうそんな細かいことやってられないな。
めぼしいものだけ神保町あたりの中古屋に持って行って、
あとは箱ごとどっかへ送ってしまうことにするよ。
DSC_3993.JPG

コンタクト、跳ぶ [ひびのよしなし]

ほんのさっき。

さて、コンタクトを入れようと思っていつものように洗面所で。
最初に言っておくと、ぼくはハードレンズを使ってる。O2透過タイプのやつね。

右目を入れて、さて左目。
というところで、コンタクトホルダーが見事にバネになってレンズがヒュン、と跳んだ。
「えっ?」と思うも、かすかに右前方で何かが当たった音がして消えた。
消えた先は洗濯機の裏。
「えええーーー」と思うも、もう消えてしまったものはどうにもならない。

とりあえず、どこかに引っかかってないか、手を伸ばしてみるもまったくもってほこりだらけになるのみ。
洗濯機の下から手を突っ込んでみるも奧までは届かず。

洗濯機を少しだけ手前にずらして覗き込んでみる。
懐中電灯を当てて、きらっと光るものがないか見てみる。
反応無し。
洗濯機を手前に出し切ってあらためて這いつくばってみるか、と考えてみるも、その重さに「それは最後の手段」と思いとどまる。
この時点で、「今からレンズを買いに行ったらなら」とシミュレーションをはじめてみる。
ぼくの場合、レンズがかなり強いこととカーブの具合もあって、お願いしてから届くまで数日かかる。
日曜日のびゅーちの山梨までには間に合うだろうか。
予定外の出費になるのは覚悟できたとしても、そこがちょっと気がかり。
今すぐ行くことを考えるよりも、やはり汗だくで洗濯機を動かしてみるか。

ま、出来ることはやってみよう、と掃除機を持って来た。
ホースの先にネットをかぶせ、洗濯機の裏側にさして吸ってみる。
万が一レンズを突き刺して割ってしまわないようにやさしく、しかしまんべんなく。
ネットの周りはほこりだらけ。
なんだか以前に落としてしまった細かいものがいくつか吸い取れてるが、あとはほこりばかり。
あー、そんなもんか。試しに下から吸ってみるか。
と、ネットからほこりを剥がしてたらほこりの中から薄水色の小さなものが。

なんと言うことでしょう!!!

そこにはぼくの左目のレンズが埃まみれになりながらもしっかり存在してくれました。
洗濯機を動かすことも、レンズをお願いすることも、出費することもなく、戻って来てくれてありがとう。

レンズを洗浄液でしっかり洗って、無事に装着!
あー、汗はかいたがひとまず安泰。
なかなかスリリングな20分はこうして幕を閉じた。

で、夕方前にちょっと出かけようかな、と思ってたんだけど「もういいや」と思って止め。

みなさまもコンタクトレンズの逃亡にはお気をつけ下さいませ。

配慮 [ひびのよしなし]

ぼくの好きな高野文子の「黄色い本」という作品の中で、こんな一コマがあるのね。

主人公の高校生の女の子が、ずっと読み進めて来た図書館の本(=「黄色い本」)。
そろそろ卒業という頃に、お父さんが「その本買うか?」と聞くのね。
それに対して彼女は、「いいよぅ、もう読み終わるもん。」と答える。
それに続くお父さんの言葉がこれ。
「好きな本を一生持ってるのもいいもんだと、俺(おら)は思うがな」と。

自分が好きな作品、気に入ったものを自分の手元に置いておく、というのは
それだけでちょっとした満足を得られるものだと思う。
本であったり、音楽であったり、映像作品であったり。彫刻とか絵画とかも。
たとえそれをいつもいつも見たり聞いたり眺めたりということはなくとも、
それが自分のものである、ということに対する安心感と優越感、というのか。

ただ、重要なのは「自分のものである」というところね。
その作品が好きならば、それだけの対価を払って自分のものにする、
そうすることで、なおそこに愛着もわく、ということ。
もちろん人からプレゼントされればそれはそれでうれしいけど、
「自分で手に入れました」ということは、また1つランクが違うと思う。
のだけど、どうだろう。

ぼくは今までも、そりゃ相当な枚数のCDだとかDVD、芝居のDVDとか戯曲とかたくさん買って来た訳だけど、
そんな中でも、本当に「なんとしてでも手に入れたい!」と思ったものは、
それこそネットの通販なんかない時代には古本屋をしらみつぶしに探して見つけ出したりしたもの。
高いものであれば、それを手に出来るだけ貯めて、思い切って手にする。
なので、そんな風に探し出してものとか、思い切ったものに関して、
あまりやすやすと人に貸したりはしたくない。本当はね。

なんでこんなこと言ってるかというと。

10年くらい前に、ぼくのすごく好きな作品がDVDとして発売されるということで、
それを買ったのね。
で、自分で1,2回くらいしか見てない頃に「見たいから貸して」と言われて、それを貸した。
そこから今まで、ぼくの手もとには返ってきてないのですよ。
「気に入ったので何度も見てる」というのだけど、気に入って何度も見たいのはぼくだって同じ。
そもそも、ぼくがそう言うつもりで、自分でそこに対価を払って自分のものにしたわけで。
今までもたびたび、「そろそろ見たいから返してほしい」と言ってるのだけど、そのまま。
ある時は「そんなに気に入ってるものなら、自分でお金出して買い直しなさいな」とまで言ったんだけど、そのまま。

で、正直なかばあきらめてもいたんだけど。
あきらめるのも変な話なんだけど。

この前その人が、その作品について
「すごく好きな作品で、たびたび見直す」とか、
「なんとなく流してるだけでも楽しめる」とか、
はては「なくてはならないもの」とまで、ネット上で書いてるのを目にしてね。

その作品が好きなのはあなただけではない。
たびたび見返したいのも、あなただけではない。
ずっと貸したままでいて、たまに「見直したいな」と思ってもぼくの手元にはない。
なんで、ずっと借りたままでいるあなたが、ぼくよりもそれをたくさん見直すことが出来るのか。
そして「なくてはならないもの」などと、我が物顔で言えるのか。
それを見た時に、憤りとともに、ちょっと残念な気持ちになったね。

この人は、自分が「なくてはならないもの」とまでいう作品に、対価を払うことを考えてはいない。
そして、借りているものという認識をなしに、平気でそう言うことを人前で言えてしまう。
ぼく自身がその文面を読んでどんな風に思うのかも、まるで考えていない。
その辺の配慮が欠けているから、そういうことを書けてしまうのだろうけど。

「なくてはならないもの」とまでいう作品なのなら、自身でそれに対価を払って「自分のもの」にしてから言いなさい。
人から借りたままのものであるにもかかわらず「なくてはならない」などと言うのは、その作品自体にも失礼だ。
そんなに好きなのに、自分のものにしてないの? ということだ。
絶版になってる訳でもなし、今の時代Amazonでも探れば中古でだって手に出来る。

「好きな本を一生持ってるのもいいもんだと、俺(おら)は思うがな」
"持っている"のは、自分のものとして持っているのであって、人から借りて手元においてあるということとはまるで違う。

虫の知らせ [ひびのよしなし]

虫の知らせ、ってやつ。信じます?

っていきなり言ってみた訳だけど、ぼくはこれ、あると思ってる。
ものすごい「虫の知らせ」を体験したことがあるもんだから。

まだぼくが勤め人だった頃の夏のある日。
朝、家に電話がかかってきて、「おじいちゃんがホームから病院に運ばれたって」とのこと。
その時点で94歳だったおじいちゃん。
体が弱って来たとはいえ、90歳を過ぎてからも一度病院に運ばれた後に退院してきたという経験のある強者で。
その時も、きっとそんなもんだろう、と思ってたんだよね。
なのでいつも通り会社に行って。

その日のランチは、週に1度は行っている石焼まぜご飯のお店に行こう、と決めて。
音楽雑誌の発売日だったので、本屋で雑誌を買って、ご飯食べてそのままちょっとゆっくりしようかな、とね。
で、いつものように階段を下りて地下にあるそのお店へ。
ドアを開けて1歩中に入ったところで「あ、いけねぇ。本屋に寄るの忘れた!」と気づいて。
階段を上がって、通り沿い数件先の本屋さんへ。
雑誌を買って、あらためてランチのお店に戻ろうとしたところで妹から電話。
「おじいちゃんがあぶないって。来られる人は集めてください、ってことなんだけど、来られる?」

ランチをあきらめ、会社へ逆戻り。
会社の下にあるコンビニで適当に買って、デスクで最低限のものを片付け、部下たちに仕事を割り振って、六本木の会社から根岸の病院へ。

最初にランチをしようとしたお店は地下にあるお店で、お店の奧に入ると電波が届かなくなるところだったのね。
あのとき、そのままお店に入ってしまってたら、妹からの電話に気づくまで1時間はロスしたと思う。
その1時間で、おじいちゃんの往生には間に合わなかったかもしれない。

あのとき、お店の扉を開けて、一歩踏み込んだところで「あ、いけねぇ!」と引き返したおれ。
あれは確実に「虫の知らせ」が届いたんだと思う。そのくらい見事だった。
以来、ぼくは「虫の知らせ」はあるものと信じてる。

荒川、渡りません。 [ひびのよしなし]

ここ数年、ぼくのTweetにたびたび登場した言葉。
「荒川渡る」。

これは「今日は葬式の仕事です」ということの隠語でもあった訳なんだけど。
ぼくの担当するエリアが江戸川/市川エリアと松戸/柏エリアだったもんでね。

えー、今なんとなくすでに過去形で書いてるけども、
実は昨年いっぱいでこの仕事から引き上げることにしました。
理由はいろいろとあるんだけど。

現場は非常にやりやすかったし、葬儀会社のみなさんとはほんとに仲良くしていたし、信頼ももらっていたし。
ぼくの特技を大いに活かせる仕事でもあったんだけどね。

お葬式ってのは突然やってくるものなわけで。
その仕事の依頼も突発的なものなわけで。
場合によっては「4日後の朝」というようなこともあるけど、たいていの場合は「あさって」とか。
時には「明日の朝」というような感じで飛び込んでくることもあるわけね。

一方で、楽曲のプレゼンの話も、そこまで急ではないにしろ「○○日が締め切りです」と話がくる訳で。
その締め切りに合わせるために、「○日までにメロディを整えて、○日に打ち込みをして」という風にスケジュールを立てるわけだけど。
その楽曲制作のスケジュールと関係なく「あさっての式をお願いします」と飛び込んでくると、曲を作ろうとするスケジュールが狂うわけね。
別に、それがずれるだけであれば、器用な人ならうまく調整つけてできるのかもしれないけど、
葬式の方で複雑なリクエストが来たりすると、その曲を仕込まなくちゃならないわけで、
そこに時間を取られるだけじゃなくて、クリエイティブに向かう頭の余裕がなくなるわけね。
つまりは、メロディを作る余裕がなくなる、と。

はじめのうちはそれでもなんとかしようとしてたんだけど、だんだんとそんなことが重なるうちに、
プレゼンの話が来ても、はなから「また作れないんじゃないか」という風に気持ちが向かなくなっていっちゃって。

葬式プレイヤーとして信頼を得てるし、それはそれで自分の仕事としては悪くない仕事なんだけど、
あるときふと、思ったんだよね。
「あれ、おれは葬式プレイヤーになりたいわけではなくて、曲を作りたかったはずだよな」と。
曲を作ろうとすることを、なんだかどこかに完全に置き忘れてきちゃったわけだ。この1-2年。

そのことが、ある時期からずっと引っかかって。
自分の作曲脳が完全に錆び付いてしまわないうちに、ちょっとギアを入れ直そう、と。

そんなことも理由の1つとして、荒川を渡らないことにしました。
そして今年はあらためて、自分の中の「作曲家としてきちんと名前を残せる仕事をする」という部分に焦点を当て直します。

まだまだがんばりますよ。

あけましておめでとうございます [ひびのよしなし]

あけましておめでとうございます

今年もどうぞよろしくお願いいたします
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顛末 [ひびのよしなし]

事の始まりは10/3のこと。

スマホの電池交換が終わったということで取りに行って。
一度帰宅して、その後出かけるまでの間にスマホのアプリを一気に入れ直そうと、MacからStoreにアクセスしてスマホに飛ばすようにガンガン作業してて。
ひととおりのアプリを入れられたんだけど、確かにその時にちょっとMacの動きが鈍かったんだよね。
でも、まあよくあることと気にもせず。回線がちょっと遅いのかな、なんて。
で、すぐに出なくてはいけなかったのでシャットダウンして。

夜になって帰ってきたら、なにやらのソフトが引っかかってるかなんかで「シャットダウンできませんでした」と出てる。
あらためて再起動。
その作業が最後。

再起動しようとするも途中で「フーーン」と止まってしまう。
何度やっても同じ。

セーフモードで立ち上げてディスクのチェックをすると、なにやらおかしいらしい。
修復をかける。
「できません」と出る。
できるだけ多くのファイルをバックアップしてインストールし直せ、と。

ひとまず、次の日も朝が早かったのでその日は寝ることにして、翌日出かけて、夜に帰ってきてからインストールディスクから立ち上げてみたりとにかくいろいろやってみる。
Twitterでつぶやくとすてきな友人たちからサポートのコメントを多数いただく。
感謝しながらとにかく試してみるも、もうどうにもならん。
とにかく、スマホ頼り。

もうここは観念するしかないか。
しかし、このMacの中には消去すると大変なことになるデータがたくさん入ってる。
今すぐリセット、というわけにはいかん。
修理に出したらおそらく消される。
そして万単位の金がかかる。

ならばいっそ中古でも1台買ってきて、それと連動させながら試すことにしよう。
ということで翌日仕事の前に秋葉原で途中下車。
せっかくならノートを1台買って、一通りの作業が終わったら、外でも作業できるようにしようかな、と。
Cubase入れてスタジオ持ってって直接録音するのもできるよな、とか。

で、スペック的にもいい感じのものを見つけたんだけど、「OS無し」と書いてある。
「これってどういうことですか?」といろいろ聞く。
その時は「10.6モデルなので、10.6のインストールディスクをどこかから調達しないとならない」という感じの説明を受ける。
一旦その日は買わずに帰り、知りあい伝で持ってる人がいないか、調査。
ふと気がついたら、使っているMac miniが10.6だな、と。
「なんだったら製品版を貸しますよ」と言ってくれる方もいらっしゃるし。
よし、と翌日仕事帰りに意気揚々と買いに行く。
その時に再び聞いてみるも、「無理だと思いますよ」と言われる。
え、昨日の話と違うじゃないか。
同じ10.6でも、その下の「10.6.x」の部分が違うとダメだと思う、とのこと。
買おうとしてるのは10.6.8のモデル。
最終手段としては、Appleに問い合わせてインストールディスクを再発行してもらえば大丈夫、とのこと。
ただ、それには2週間くらいの時間と数千円の再発行代がかかる、と。

ここで浅はかだったおれ。
「なんとかなるんじゃねぇか?」と。
「やってみてダメだった、ということでの返品は受けられませんよ」と念をおされつつも、一縷の望みを託して買ってきてしまったおれ。

帰ってきて、自分の持ってたものでインストールを試みる。
ちなみにディスクは「10.6.4」のもの。
のぞみむなしく、実行できず。
そこに引っ越し作業中の写真家・小野寺さんから「製品版試してみますか?」ということで夜な夜な取りに伺う。
そしてここでも望みを託してみるものの、あえなく跳ね返される。
ああ、素人は素直にプロの言うことを聞くべきだったんだな。
この前仕事でおれは逆の立場だったじゃないか。それを思い返せていれば踏みとどまったものを。
仕方ない。買ってきてしまったものはどうにもできん。おれの責任だ。

その後、数人のMac使いの友人に聞いてみるも、「10.6.8」というのは出てこないもので。
もう、ここであたふたしてもしょうがない、あとは確実な方法を取ろう。
ということで、Appleに問い合わせ。
すべての手続きを踏んで、再発行をお願いする。
20日くらいには届きます、ということ。
ちなみにこの時に対応してくれた気のいい感じのお兄さん、本当に丁寧でこちらの気持ちも察してくれて、本当に嬉しかったなあ。
お問い合わせデスクの鑑だと思ったよ。

普段であれば、Mac使ってやらなくちゃいけないことで急を要するようなことはないし、家にあるWindowsを使ったり、スマホでとりあえず濁しておけばいいんだけど、実は今回ちょうどタイミングが悪くてね。

びゅーちふるずのワンマン前、というかアルバム発売の企画で、メンバーの動画を編集してアップする、という仕事の真っ最中。
幸い元のデータは別に残ってるので編集さえできればなんとかなるのだが、今のフルデジタルのビデオカメラからのデータをうちのWindowsでは扱えず。

そんなところに、びゅーちふるずの部長が「なんならMac貸すよ」と言ってくれて。
ご厚意、大変感謝するとともに、Mac Bookをお借りして数本の動画を編集。
20日過ぎの分まで一気に仕上げて、返却。
部長は部長で、ワンマン前にいろいろと担当があるので、いつまでも借りてるわけにいかないのでね。

ところが、今度は20日を過ぎてもディスクがなかなか届かない。
これは、次の動画の公開に影響でるぞ、と24日の時点で再びAppleに問い合わせ。
「今、具体的にどんな状況かだけ、わかる範囲で調べてもらえないですか?」と。
すると、最初に問い合わせた8日にすぐ出荷できず、12日に発送された、というデータになってる、と。
うーむ、まいったぞ。
とはいうものの、4日遅れたなら、そろそろ到着してもよいはず。
もし、数日内に届かないなら、また誰かに使わせてもらうしかないな、と覚悟を決める。

そんな翌日の朝。なんだかさわやかな空気の中でMac Bookを使ってる夢から目覚める。
あれ、今日は届くんじゃないかな?そんな予感。
そして、昼前に到着。

ようやく、プチ安心。

インストール画面が無事に出てきてね。あー、これを待ってたよ。
で、まず10.6を入れてから、この顛末の最中にアップデートされた10.10=Yosemiteに一気にアップデート。

その時点で一度遅れていた動画の編集を2本終わらせて。
その辺の急ぎの作業が一通り終わってから、第2戦。
そもそも、Mac Bookを動かすのは元のMac miniからのデータを移すためなのだよ、ということで。
FireWireで2つのMacをつなぎ、Mac miniのデータをMac Book側から読めるかテスト。
これがうまくいかなかったら、そもそも何の意味もない、ただの高い買い物ということになってしまうわけで。
ドキドキしながら試してみたら、問題なくアクセスできて。
よかった、そこまでの壊滅的なエラーではなかったか。

ということで、ひとしきりのデータを数時間にわたってコピー。
そしてMac miniの方をリセット。
OSを再インストール。
そして無事に立ち上がる。

はい。全てのデータを損失することなく、復旧させることができました。
あー、長かった。

ということで。
今回肝に命じたのは2つ。
「バックアップは確実にとっておけ」
「シロウト考えで判断をするな」

とりあえず、Mac Book Proという新しいアイテムを手にしたので、これも活用していきますよ。

長い文読んでくださったみなさま、ありがとうございました。

JRの対応がのんきな件 [ひびのよしなし]

昨日の昼、うっかり電車の網棚にスーツを置き忘れてしまった。
いや、最初に言っておく。すべては忘れたおれが悪い。
そんなことは承知の上。

代々木で山手線に乗り換えて渋谷に到着したときに、代々木までの電車の中に置いてきてしまったことに気がついた。
すぐに渋谷の駅で駅員さんに言うと「駅事務所で対応してくれますので」とのことで事務所へ。
ここで話をしたのだが、その駅員さんは少々渋った顔をしながら
「とりあえず、少し時間おいてからこちらへ問い合わせてみてもらえますか?」と。
忘れ物センターの電話を教えてくれるのみ。

実は、前にも同じことをしちゃったことがあるのね。
東京メトロの東西線で置き忘れて、5分後に気がついて駅事務所に駆け込んで。
すると、「何分前くらいですか? どの辺に乗ってましたか?」と細かく聞かれ。
その電車が今どこにいるか確認、次に停まる駅に連絡をして「見てもらいますのでちょっとお待ちください。」と。
しばらくのち、「ありました。この先の駅で保管してますので受け取りに行ってください」と。
ほんの数分で解決したのだった。

今回もそんなことを考えていただけに「え、追ってはくださらないのですか?」という気持ち半分。
ま、しかたない。あの電車が三鷹についたときに確認してくれるだろう。
いっそ、自分で三鷹駅に連絡してみようか。
と思ったものの、今JRの駅って直通電話がなくなってるのね。
いたしかたなく、その電車が終点三鷹に到着して少したつころを見計らって連絡。
「連絡は上がってきてないですねぇ」といわれ。
もう少し時間をおいてからまたかけてみてください、と。

そんなこんなで結局昨日は数回問い合わせるも何もなく。
今朝になってから連絡しても情報なく。
「車庫などに入ってしまうと、今日の昼や夕方になってから上がることもあります」と。

ぼくが電車に置き忘れたのに気がついたのはほんの10分後。
その時にすぐに対応してくれる敏速さがあればこんなに心配な時間を過ごさなくてもいいのに、と思う次第。
メトロではすぐ対応してくれるのにJRがそうはいかない、というのがなんともね。

ていうか、こんなことならすぐに戻って、新宿から中央線で飛ばして三鷹に行けば、もしかしたら自力で解決できたんじゃねぇの。
と微妙に後悔の念。

いや、置き忘れた自分が悪いのは重々承知なんだけどね。
もう少し融通聞いてくれてもいいんじゃないの、と思わざるを得ん。
JR、のんびりしてるなぁ、もう。
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