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正月は [ひびのよしなし]

この年末年始は近年まれに見るほど「何も予定が無い」という1週間でして。
まあ、なんというか2015年は、ありがたい状況ではあるんだけどどこかずっと「追い立てられてる」ような感覚で年末まで来たんでね。
ここらでゆっくり、と言った具合かな。

そうなるとあれだね、当然のごとく、風邪ひくね。すぐ。
実はケネディの大忘年会の日の、本番中から「あれ?この喉の乾き具合はなんか変だぞ」って、
ちょっと兆候は見えてたんだよね。
それが、大晦日あたりから咳が止まらずに。
市販の薬でごまかしつつ、それでもちょっとひどい感じで。
「眠くなるからあんまり飲みたくないけど」って、1日の夜に病院でもらった薬を飲んだら、
2日は、出かけてる間中ずっと体がふわふわする感覚が残ってて。
なんか、1日中眠いのが尾を引いたなあ。

で、今日。久しぶりの友達から誘いがあったんだけど、
「カラオケでも行かない?」ということで「おれ、今日は歌えないわ」と。
結局1日家にいたりして。

そんなわけで、
年末は年賀状を書いたり細々と買い物に出たりして、
年始は家の行事のほかはHDレコーダーの録画したままのものを見たり整理したりして。

そんな年末年始。

ちなみに明日までお休みなので、地元の神社に初詣に行ってくるつもり。
あとはキーボードの音色をあれこれチェックだとか、そういうことする感じかな。

あけましておめでとうございます [ひびのよしなし]

2016年、あけました。
今年もステキな時間をたくさん過ごせるように、日々を重ねてまいります。

みなさま、どうぞよろしくお願いします!
DSC_4216.JPG

親と、ラーメン [ひびのよしなし]

先日、うちの親が2人で仲良く出かけたときの話。
(ぼくは一緒じゃないです。)

そろそろお昼にしよう、とランチに良さそうなお店を探したけど、
なかなか食べられそうなお店が見つからず。
ちょっと入りにくい感じだけど、1軒だけラーメン屋があったので、
「とりあえず、ここに入ってみようか」と入ることにしたという。

で、カウンターでとなりに運ばれて来たラーメンの量が非常に大盛りで。
店員さんからも「うちは普通でも量が多めなんですけど、どのくらいになさいますか?」と聞かれ、
2人とも「じゃあ、少なめでお願いします」ということに。
しかし、少なめでも結構な量があり、2人とも食べきれなかったそうで。

食べ終わって外に出ると、お店の外には行列ができてて、それを見て
「もしかしたら、ここは有名なお店なのかもしれないね」と2人で話してたとか。

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そんな話を聞きましたもんで。
「へえー。そこ、なんてお店だったの?」
「うん。『千里眼』て書いてあったね。」

おいおいおいおいおいおいおいおいおい。
それ、60過ぎが入る店じゃないぞ!
ちょっとびっくりしたわ。おれでも行かないわ。

いや、出かけた場所から考えて『山手ラーメン』あたりかと思ってたけど、まさかの展開。
「でも、ほかに店が無かったからさ」とのことだけど、それでもよくがんばったな。

ちょっと衝撃の話でした。

れきし [ひびのよしなし]

ふと、42年生きてるとさすがに、自分も歴史のかけらを見てきてるんだなぁ、と感じることがあるね。
そのいくつかをちょっと並べてみる。

◉小学校の頃の工場見学でサッポロビールの恵比寿工場に行った。
◉社会科見学で荏原青果市場に行った。
◉二子玉川園に遊びに行った。
◉横浜ドリームランドに連れて行ってもらった。
◉渋谷駅前の映画館で東映まんが祭りを見た。
◉代官山アパートの中の公園で遊んだ。

代官山の駅は、うっかり見落とすかと思うほどの小さな小屋だった、とか、
恵比寿駅の東口も改札が1つだけの田舎駅だったな、とか、
東横線に沿って流れる開渠の蛇崩川とか、
烏山川と北沢川の合流とか。

そういえば富山に住んでた頃、大山寺遊園てところによく遊びに行ったけど、
もちろん、もうなくなってるんだろうなぁ。

近いところでは東横線の渋谷駅とか、田園調布駅の地上ホームとか、
東急自動車学校とかだって、数年すれば立派な歴史になるんだよね。

日々、生活の中で見る景色も、しっかり見てればあとで楽しいかもしれないよね。

なんて。

再び言うが、お前ら「思い」すぎだ! [ひびのよしなし]

前にも一度言ったことだけど、あえて2年ぶりに言わせてもらう。

「お前らいちいち思いすぎだ!!」

いつから「思います」っていうのが丁寧語の代わりになったのだ?
否。そんなことにはなっていない。
「思います」って言えば丁寧なのだ、と勝手に思い込んでる人が多すぎるのだ。

その場の進行を担う人が「〜〜と思います」って言うたびに勘弁して欲しいと思う。
「思う」ってのは、今みたいに「自分の心がそう感じてる」ということを表すだけの言葉なんだよ。

それでは、始めたいと思います。
 (でも、まだ始められる算段が整ってないので始められないのです)」
ということなのか?
それでは、始めたいと思います。
 (でも、心の準備が整ってないのでもう少しお待ちください)」
ってことなのか?
それでは、始めたいと思います。まず最初に〜」
おいおい、思ってるだけで「始める」とは言ってないぞ。それで先を進めるのは失礼じゃないのか?

違うだろ。
「それでは、始めます。」
丁寧にするのなら「それでは、始めさせていただきます。」
はい、よろしくお願いします。となるわけだよ。

では読みたいと思います。
 (でも原稿がないのでまだ読めないのです)」
てことなのか?
では読みたいと思います。
 (でも漢字が難しくて出だしからつまづきそうです)」
てことなのか?
では読みたいと思います。
 (でもこれ字が小さすぎて見えないんです)」
てことなのか?

では読みたいと思います。『こんにちは。私は〜』」
 おい、「読む」と言ってないのに読み始めるのか?

違うよね。
「では読みます。」
もしくは
「では読ませていただきます。」
でしょ。

いただきたいと思います。
 (でも、本当はこれ苦手なんです)」
いただきたいと思います。
 (せっかくなら温め直して出し直してもらえますか?)」
いただきたいと思います。
 (が、本当はもう腹一杯すぎて美味しそうになんて食べられませんよ。いいんですか?)」
とか、そういう裏の意図を読み取れというのか?

そうじゃなければ
「いただきます!」
それでいいじゃないか。

もうね、TV見てても下手なレポーターは全部これ。
ひたすら「思っ」ちゃう。
ラジオのパーソナリティなんかでも、いちいち「思います」って付けちゃう人とかね。
もっと、自分の言うことに自信を持って、責任を持て。そして語尾は言い切れ。
「思います」なんて変に逃げるような濁し方をするな。

ホントに、この「思います」が出るたびにげんなりします。
そしておれの心の中では減点されてます。

ということでね。
いちいちうるさいやつだな、と思われるかもしれないけど、
この言葉の使い方一つで、人からの見られ方って変わるんですよ。
ということをちょっとだけ頭の片隅に置いておいてもいいんじゃないかな、
思うのです。

2週間 [ひびのよしなし]

みなさまお元気ですか。

こちら、2週間ほどご無沙汰してました。
まあ、頭の中が忙しくてね。
シルバーウィークなんつって世の中連休だったわけだけど、その連休中がどうにもこうにもで。
ま、お仕事いただけてありがたい限りです。

連休前の1週間は、そのシルバーウィークに予定されてた2つの長時間リハのために、
14曲分の譜面を書き上げて音をチェックしてみたり、
バンドで新しく使うキーボードの音色を、ワンマンライブの20曲分あれこれ試してみたり。
連休中には、これまた珍しいイタリア歌曲の伴奏なんかしてみたり。
連休まっただ中のセッションは、いつもに比べて著しく人が少なかったり。
そんなこんなのうちに連休も終わって、ようやくほっと一息、てな具合でした。

その後、(1つ前の記事のことね)メガネで行った日は、リハーサルで何曲分か過ぎてから、
「今日は大丈夫、ちゃんと気づきましたよ!」と気づいてもらえて。
メガネしてる方が年齢不詳だ、と言われた。そうなのか。

そんなわけで、元気にやってます。
ひとまずご報告。

またぼちぼち綴ります。

めがね [ひびのよしなし]

この前、ステージ前の楽屋で。
「まさぼうさんがメガネかけると、どんな雰囲気になるんですか?」
というので、今日はあえてメガネをかけて行ってみた。

いつものように入って行くと、みんなが「あ、メガネだ!」と。
ひとしきり盛り上がったのだが、その時にはまだ言った本人は現れず。
その後、全員揃ったところでリハーサルをしたわけだけど、特にノーリアクションで。
そうか、ノーリアクションか。

で、本番前にはいつものようにコンタクトレンズを入れて。
(ちなみにコンタクトを入れた時に、スタッフの1人から「あ、ウッディに戻った」って言われた。)

結局1日終えて、メガネの話題が出なかったもので。
帰り際、ちょっと気になって聞いてみた。

「リハーサルの時、ずっとメガネしてたんだけど、気づいてた?」
「・・・・気づいてない!!」

ノーリアクション、とかじゃなくて、まさかの"気づいてない"。

ま、それだけいつもとの印象が何も変わらなかった、ってことなんだろね。
とりあえず、来週もう一度メガネで行くことに決めました。
さて、その時には気づいてもらえるのだろうか。

休み中の大仕事 [ひびのよしなし]

先週の木曜日から1週間、銀座のお店がお休み。
ということで、ぼくも合間にちょいちょいと予定は入ってたものの、今年はわりと落ち着いたお盆休み。

というわけで、このところずっと懸案事項だったCD棚のキャスター交換を。
この1年くらいで、一部の棚のキャスターがボロボロになる状態が相次いでてね。
日に日にダメになって行くもんで。
もはやキャスターとしての役割を担いきれてなくて、反って引き出せない状態で。
そうなると、出したり戻したりという
作業がおっくうになるのもあって、CDの整理が付かなくなってきて。

CDの整理を一気にやるのと合わせて、このキャスターの交換をしよう、と。
しばらく前から考えていたものを、このお盆休みで結構。
まず、キャスターを買いに行ったのだけど、1つの棚に6個、それが5本分。
となるとそんなにお店の方にもストックはなくて。
なのであるだけ買って来て、あとは注文。
どうにもならなくなってる棚のキャスターだけ交換してしまおう、ということに。

で、中のCDを全部出して、棚を横にしてキャスターを交換。
そのほか、ねじを全部締め直して、CDを戻しつつの新しく買ったものなどを間に調整しながらの。
「これ、もう聞かないな」というCDを間引きながらの。
(ちなみにあいうえお順で並べてます。)
てな感じで1日がかりでひとまず作業終了。

棚2つ分だけ、キャスターを新しくしたんだけど、動きが軽い。
もう、早くほかの分も交換したい。でも、それは来週以降。
(キャスター入荷の状況と、自分の予定を考えるとね。)

でも、これでようやく、部屋に積まれてたCDをきれいにおさめられたよ。
ついでに、もう聞かないCDが、ともすると段ボール2つ分くらいになったよ。
昔なら1つ1つヤフオクで出してたけど、これだけあるともうそんな細かいことやってられないな。
めぼしいものだけ神保町あたりの中古屋に持って行って、
あとは箱ごとどっかへ送ってしまうことにするよ。
DSC_3993.JPG

コンタクト、跳ぶ [ひびのよしなし]

ほんのさっき。

さて、コンタクトを入れようと思っていつものように洗面所で。
最初に言っておくと、ぼくはハードレンズを使ってる。O2透過タイプのやつね。

右目を入れて、さて左目。
というところで、コンタクトホルダーが見事にバネになってレンズがヒュン、と跳んだ。
「えっ?」と思うも、かすかに右前方で何かが当たった音がして消えた。
消えた先は洗濯機の裏。
「えええーーー」と思うも、もう消えてしまったものはどうにもならない。

とりあえず、どこかに引っかかってないか、手を伸ばしてみるもまったくもってほこりだらけになるのみ。
洗濯機の下から手を突っ込んでみるも奧までは届かず。

洗濯機を少しだけ手前にずらして覗き込んでみる。
懐中電灯を当てて、きらっと光るものがないか見てみる。
反応無し。
洗濯機を手前に出し切ってあらためて這いつくばってみるか、と考えてみるも、その重さに「それは最後の手段」と思いとどまる。
この時点で、「今からレンズを買いに行ったらなら」とシミュレーションをはじめてみる。
ぼくの場合、レンズがかなり強いこととカーブの具合もあって、お願いしてから届くまで数日かかる。
日曜日のびゅーちの山梨までには間に合うだろうか。
予定外の出費になるのは覚悟できたとしても、そこがちょっと気がかり。
今すぐ行くことを考えるよりも、やはり汗だくで洗濯機を動かしてみるか。

ま、出来ることはやってみよう、と掃除機を持って来た。
ホースの先にネットをかぶせ、洗濯機の裏側にさして吸ってみる。
万が一レンズを突き刺して割ってしまわないようにやさしく、しかしまんべんなく。
ネットの周りはほこりだらけ。
なんだか以前に落としてしまった細かいものがいくつか吸い取れてるが、あとはほこりばかり。
あー、そんなもんか。試しに下から吸ってみるか。
と、ネットからほこりを剥がしてたらほこりの中から薄水色の小さなものが。

なんと言うことでしょう!!!

そこにはぼくの左目のレンズが埃まみれになりながらもしっかり存在してくれました。
洗濯機を動かすことも、レンズをお願いすることも、出費することもなく、戻って来てくれてありがとう。

レンズを洗浄液でしっかり洗って、無事に装着!
あー、汗はかいたがひとまず安泰。
なかなかスリリングな20分はこうして幕を閉じた。

で、夕方前にちょっと出かけようかな、と思ってたんだけど「もういいや」と思って止め。

みなさまもコンタクトレンズの逃亡にはお気をつけ下さいませ。

配慮 [ひびのよしなし]

ぼくの好きな高野文子の「黄色い本」という作品の中で、こんな一コマがあるのね。

主人公の高校生の女の子が、ずっと読み進めて来た図書館の本(=「黄色い本」)。
そろそろ卒業という頃に、お父さんが「その本買うか?」と聞くのね。
それに対して彼女は、「いいよぅ、もう読み終わるもん。」と答える。
それに続くお父さんの言葉がこれ。
「好きな本を一生持ってるのもいいもんだと、俺(おら)は思うがな」と。

自分が好きな作品、気に入ったものを自分の手元に置いておく、というのは
それだけでちょっとした満足を得られるものだと思う。
本であったり、音楽であったり、映像作品であったり。彫刻とか絵画とかも。
たとえそれをいつもいつも見たり聞いたり眺めたりということはなくとも、
それが自分のものである、ということに対する安心感と優越感、というのか。

ただ、重要なのは「自分のものである」というところね。
その作品が好きならば、それだけの対価を払って自分のものにする、
そうすることで、なおそこに愛着もわく、ということ。
もちろん人からプレゼントされればそれはそれでうれしいけど、
「自分で手に入れました」ということは、また1つランクが違うと思う。
のだけど、どうだろう。

ぼくは今までも、そりゃ相当な枚数のCDだとかDVD、芝居のDVDとか戯曲とかたくさん買って来た訳だけど、
そんな中でも、本当に「なんとしてでも手に入れたい!」と思ったものは、
それこそネットの通販なんかない時代には古本屋をしらみつぶしに探して見つけ出したりしたもの。
高いものであれば、それを手に出来るだけ貯めて、思い切って手にする。
なので、そんな風に探し出してものとか、思い切ったものに関して、
あまりやすやすと人に貸したりはしたくない。本当はね。

なんでこんなこと言ってるかというと。

10年くらい前に、ぼくのすごく好きな作品がDVDとして発売されるということで、
それを買ったのね。
で、自分で1,2回くらいしか見てない頃に「見たいから貸して」と言われて、それを貸した。
そこから今まで、ぼくの手もとには返ってきてないのですよ。
「気に入ったので何度も見てる」というのだけど、気に入って何度も見たいのはぼくだって同じ。
そもそも、ぼくがそう言うつもりで、自分でそこに対価を払って自分のものにしたわけで。
今までもたびたび、「そろそろ見たいから返してほしい」と言ってるのだけど、そのまま。
ある時は「そんなに気に入ってるものなら、自分でお金出して買い直しなさいな」とまで言ったんだけど、そのまま。

で、正直なかばあきらめてもいたんだけど。
あきらめるのも変な話なんだけど。

この前その人が、その作品について
「すごく好きな作品で、たびたび見直す」とか、
「なんとなく流してるだけでも楽しめる」とか、
はては「なくてはならないもの」とまで、ネット上で書いてるのを目にしてね。

その作品が好きなのはあなただけではない。
たびたび見返したいのも、あなただけではない。
ずっと貸したままでいて、たまに「見直したいな」と思ってもぼくの手元にはない。
なんで、ずっと借りたままでいるあなたが、ぼくよりもそれをたくさん見直すことが出来るのか。
そして「なくてはならないもの」などと、我が物顔で言えるのか。
それを見た時に、憤りとともに、ちょっと残念な気持ちになったね。

この人は、自分が「なくてはならないもの」とまでいう作品に、対価を払うことを考えてはいない。
そして、借りているものという認識をなしに、平気でそう言うことを人前で言えてしまう。
ぼく自身がその文面を読んでどんな風に思うのかも、まるで考えていない。
その辺の配慮が欠けているから、そういうことを書けてしまうのだろうけど。

「なくてはならないもの」とまでいう作品なのなら、自身でそれに対価を払って「自分のもの」にしてから言いなさい。
人から借りたままのものであるにもかかわらず「なくてはならない」などと言うのは、その作品自体にも失礼だ。
そんなに好きなのに、自分のものにしてないの? ということだ。
絶版になってる訳でもなし、今の時代Amazonでも探れば中古でだって手に出来る。

「好きな本を一生持ってるのもいいもんだと、俺(おら)は思うがな」
"持っている"のは、自分のものとして持っているのであって、人から借りて手元においてあるということとはまるで違う。
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